心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

新宿の女

1969年9月25日に発売
歌:藤圭子デビュー曲
作詞:石坂まさを&みずの稔  作曲:石坂まさを

 

とにかくかわいそうな女の人の歌です。

♪私が男になれたなら
♪私は女を捨てないわ
♪ネオン暮らしの女には 優しい言葉が染みるのよ
♪ばかだなぁ ばかだなぁ~

 

この出だしだけで、どれだけ男に騙された人生を送っていたかがわかります。かわいそうな女の経験があるからこその、心からの気持ちです。世の中にはうまれながらに恵まれない環境で生きていかなければならない子供もいます。みんながみんな親に恵まれて生まれてくるわけではありません。そうした環境に生まれた子供は、やはり夜の世界で生きる確率が高くなります。

 

これまでにネグレクトや虐待のニュースに接することは幾度もありました。そうしたニュースを見るたびに悲しい気持ちになりました。つい先日も、17才の無職の少年が小学1年生の妹を暴行死させるニュースがありました。シングルマザーの母親が妹の世話を息子に押しつけていたことが原因ですが、あまりにかわいそうな事件です。

 

最近は、子育ては「親の責任ではなく社会が責任を負うべき」という意見が聞かれるようになりましたが、そういう視点はとても大切なように思います。知識人や著名人がなんと言おうが、社会を生きていく中で女性が圧倒的に不利な状況なのは動かしがたい事実です。

 

子供を生むのは女性ですから、男は知らぬ存ぜぬを貫きとおすこともできます。そうしますと、好むと好まざるに関係なく、女性が責任を追う形になってしまいます。かと言って行政が苦しんでいる女性に優しいかと言いますと、全くそんなことはありません。

 

それどころかできるだけ面倒なことに関わらないような対応をしています。表向きは「支給する生活補助金などは、市民から徴収している税金だから」という理屈を並べますが、本心は「面倒だから」だと感じます。その証拠に、救済を求めてきた人たちのその後の暮らしぶりを調べることなどしていません。本当に、正しい税金の使い方を考えているなら、追い返すだけで終わりにはしないでしょう。

 

このように現実の世界では、女性がひとりで生きていくのは至難の技です。そうした女性が生きていくための職場はどうしても夜の世界になりますが、そこにいる男性もすべての人が良心的な人とは限りません。それを知りながら、男を信じようとすることでなんとか精神を保っているように思います。

 

そうした女心を歌ったのが「新宿の女」です。この歌を聴くたびの世の中の不条理を感じずにはいられません。

 

また、次回。

君は風

佐々木幸男 作詞作曲歌
1977年6月5日発売


僕が大学生時代に最も好きだった歌です。FMから流れてきた「気だるそうな、しゃがれた声」に一気に惹き込まれました。当時はヤマハポピュラーソングコンテスト通称「ヤマハポプコン」という素人がプロになるためのと登竜門があったのですが、その11回大会で優秀曲賞を受賞してプロになった方です。

 

正直なところ、大ヒットとはいかなかったですが、僕からしますと、そこがまた好きなところです。実際、大学生時代に最も親しくしていた先輩からは「う~ん、悪い歌とは思わないけど、そこまでいい歌とも思えないなぁ」などと言われてしまいました。

 

この欄でいつも書いていますが、「僕はがとっても好きな歌は、大ヒットしない」というジンクスはこの歌がはじまりかもしれません。それくらい好きな歌でした。デビューアルバム「ほーぼー」は全部好きな歌なのですが、その中でも9曲目の入っている「うすずみ色の空へため息を」は人生の中でベスト5に入るほど好きな歌です。冒頭で「君は風」を「最も好き」と書きましたが、実はこの「うすずみ色の空へため息を」のほうが好きなのです。ですので「最も」の二乗ということにします。

 

♪なんだか妙に みじめな気持ち
♪行きかう人は 笑いさざめき
♪僕はうなだれる ただそれだけ

♪こんなに落ち込むのは どうしたのだろう
♪夏から秋への 移りあめのせいか

♪閉め切った部屋の 窓を開け
♪ばかげた気ふさぎは 流しだそう

 

勉強漬けの毎日を終えられる身分になり、大学生という自由で気ままな生活に入るようになった僕でしたが、実は打ち込むものが見つからず、悶々としていました。僕はスポーツが好きでしたので、高校時代はバレーに明け暮れていることで満足感、充実感を感じていましたが、目標を失った生活になんとなく気だるさを感じていました。

 

そうした気分にピッタリの歌が「うすずみ色の空へため息を」でした。世の中に知られていたのは「君は風」でしたので、今回の紹介する曲としても「君は風」を取り上げましたが、本当は「うすずみ色の空へため息を」としたかったところです。ですが、アルバムの中の一曲ではやはり今一つ説得力に欠けるかと思い、「君は風」としました。

 

もちろん「君は風」もいい歌です。シングルで発売するにはインパクトが必要ですが、「君は風」には「うすずみ色の空へため息を」にはないインパクトがあります。そういえば、浜田省吾さんがデビューするときも同じようなエピソードがありました。浜田さんには「生まれたところを遠く離れて」という名曲があるのですが、この歌も「売れそうもない」と評価されたそうです。もちろん、僕からしますと大好きな歌ですが、大ヒットとは縁遠そうな歌でした。

 

それはともかく、実はこの歌をずっとYouTbeで探していたのですが、長い間見つけることができませんでした。しかし、今回このコラムで取り上げるために久しぶりに調べましたところ、なんとアップされていました。アップ日が「2021.07.04」となっていますので、ついこの間ということになります。それで視聴回数は「74回」となっていました。僕のほかにもこの歌を好きな人がいたんだなぁ、と思うとうれしい気持ちになりました。

 

それでは、また。

 

ざんげの値打もない

1970年10月5日に発売された北原ミレイのデビューシングル
作詞:阿久悠/作曲:村井邦彦/編曲:馬飼野俊一

 

この歌はメロディーも素敵ですが、やはりなんと言っても歌詞のスケールの大きさに圧倒されます。その作詞を書いていたのは、稀代のヒットメーカーとして名をはせていた阿久悠さんです。阿久悠さんといいますと、ピンクレディーさんや沢田研二さん、西城秀樹さんなど多くのアイドルにもたくさん書いていますので、ポップな歌詞を書いているイメージがありますが、演歌の世界でも多くのヒット曲を書いています。

 

その代表的な歌がこの「ざんげの値打ちもない」です。生涯に5000曲以上作詞をしている阿久悠さんですのでわざわざほかの歌を紹介することはしませんが、石を投げると阿久悠さんの歌に当たるのは間違いありません。

 

この歌詞の世界を簡単に説明しますと、十代で道を踏み外した少女の人生を綴った歌です。

♪今日で十五と 云う時に
♪安い指輪を 贈られて
♪私はささげて みたかった

♪すねて十九を 超えた頃
♪細いナイフを 光らせて
♪にくい男を 待っていた

♪とうに二十歳も 過ぎた頃
♪鉄の格子の 空を見て
♪月の姿が さみしくて

 

ねぇ、凄い人生を送っている少女でしょ。つまりは、ジゴロの男に騙されて貢がされて、手をかけたばかりに刑務所暮らしなのです。こんなかわいそうな人生があるでしょうか。この歌詞を聴いていますと、なぜか僕は上村一夫さんの「同棲時代」という漫画が思い浮かぶのですが、「同棲時代」は男が女を騙す漫画ではなく、愛を探し求める男女の物語です。内容は違うのですが、「ざんげの値打ちもない」を漫画にするなら上村さんしかいないと思っています。

 

昨今はシングルマザーが子供を虐待する事件が報道されることが多いですが、そうしたシングルマザーの方々はほとんどがこの歌の主人公と同じ人生を送っている、と僕は思っています。二十歳を過ぎたばかりの女性がひとりで幼子を育てられるはずはありません。ニュースなどでは子供がひとりどころかふたりのケースもありますが、そのような状況で生きていくのは不可能です。

 

普通の人生を送っている大人が「そのような母親たちを非難する」気持ちもわかりますが、やはり行政が手を差し伸べるのが本来の在り方ではないでしょうか。何不自由ない環境で過ごしている人たちにはそのような境遇の少女たちの気持ちは理解しがたいかもしれませんが、親に頼れずに子供時代を過ごしている子供たちもいます。そうした子供たちの男性は道を踏み外すこともあるでしょうし、女性の場合はちょっと優しい男性に心奪われることになります。

 

この歌を聴いていてあと一人思い出す人がいるのですが、それは「だからあなたも生き抜いて」という本を出版している大平 光代さんという弁護士さんです。この方も「すごい!」という言葉では言い表せないほど凄まじい人生を送っています。それこそ十代の頃にやくざの妻になるのですが、出版のきっかけはある編集者に「身体中に刺青のある弁護士さんがいる」という話が舞い込んだことです。興味のある方は読んでみてはいかがでしょう。

 

それはともかく、最初から悪事を働く子供はいません。その前の段階として、そうした活動をするに至る環境、状況があります。そうした子供たちをいったい誰が責めることができるでしょう。資格があるでしょう。子供は親を選べません。道を踏み外している子供達には社会が手を差し伸べる義務があると思っています。

 

…なんか、堅い文章になってしまいましたが、「ざんげの値打ちもない」を聴いていますと、ついつい社会の冷たさに気持ちがいってしまう僕でした。

 

それではまた。

 

 

「ずっと好きだった」

斎藤和義
38作目シングル。2010年4月21日発売

いつも書いていますが、僕が好きになる歌というのはその歌がヒットしていた時期ではないことがほとんどです。若いと言いますか青春時代はタイムリーにヒット曲に接することがありましたが、年齢を重ねてからはヒットしていた時期とは関係なくその歌と出会っています。ですので、懐かしのメロディになっていることも多々ありますが、こればかりは運命ですからどうしようもありません。

 

さて、今回そうして出会った歌は斎藤和義さんの「ずっと好きだった」です。出会ったのはかなり前ですが、おぼろげな記憶ではYouTubeでなにかを聴いていたときに「おすすめ」されたのだと思います。一瞬で心惹かれたのだけは憶えています。

 

なんと言っても歌詞が「だれにでもありそうな青春の思い出」なところが素敵です。しかも、その青春を未来から思い出して、さらに今の心境を歌っているのですから、心惹かれた人はたくさんいたでしょう。

 

妻にこの歌を話したところ、妻は斎藤和義さんをかなり前に知っていたようです。僕はこの歌で初めて斎藤和義さんを知ったのですが、妻からしますと子供が小さい頃に見ていた子供用テレビ番組「ポンキッキーズ」の主題歌を歌っていたそうです。驚きです。

 

いつだったか、全く記憶にないのですが、深夜にリリーフランキーさんが対談番組をやっていたのですが、そこにゲストとして出演していました。その番組で斎藤さんが上京したときの失恋の話とか、売れるまでの苦労などを知ったのですが、その番組を見たのは10年以上前だと思います。そして、その時点で斎藤さんはデビューしてからかなり年数が経っていたはずですが、斎藤さんという歌手はブレークする波があるそうで、妻に言わせますと、最初にブレークしたのは、先ほど話した「ポンキッキーズ」の主題歌に採用された「歩いて帰ろう」だそうです。全く知りませんでした。

 

それはともかく、青春のほろ苦い恋愛感情をきれいに掬い上げた歌詞はなんともいえません。おそらく、この心情に思い当たらない人はいないのではないでしょうか。ところが、斎藤さん自身の経験は全く正反対のようで、リリーフランキーさんとの対談では「一緒に上京してきた彼女は、貧乏な暮らしについて行けず、すぐに帰郷した」と話していました。現実は、かなり冷酷なようです。

 

「ずっと好きだった」のに言い出せなかったのは純情だったからですが、純情な気持ちはそのままとっておいたほうが人間は幸せなのかもしれません。考えようによっては、この歌は同窓会の歌ともいえそうですが、そこには邪な感情がありそうで、ちょっと不安です。この歌詞でも、「ずっと好きだった」と告白しているのですが、独身だったならきれいな話になりますが、年齢的に結婚していても不思議ではありません。そうなりますと不貞行為につながりそうな雰囲気の歌ともとれます。たぶん、そういう人多いだろうなぁ((笑)。

 

邪推は一応横に置くとしたなら、この歌は純情な気持ちを歌った歌ですが、斎藤さんの歌であと一つ昔の恋心を歌った名曲と言いますと、「真夜中のプール」です。この歌も青春時代を歌った歌ですが、映画のワンシーンを切り取ったような歌詞が心を揺さぶります。

 

青春に乾杯。

 

また次回。

 

 

 

真夏の果実

サザンオールスターズ
1990年7月25日に発売

この歌はサザンの中でもベスト3に入る歌ですが、僕の年代ではダントツで1位なのではないでしょうか。僕はサザンと同年代ですので、サザンが世の中に出てきたときと僕の青春はガッチリ重なります。忘れもしません!初めてTBSの「ザ・ベストテン」に出演したときの「勝手にシンドバッド」の衝撃!あんな早口、どうやって歌うの?と思ったものです。

僕が勝手に思っているのですが、サザンがビッグバンドになれたのは、この歌がヒットして、その次の「気分しだいで責めないで」も同じ系統の歌を続けたのですが、3曲目にバラード調の「いとしのエリー」を持ってきたことだと思っています。

なにかの記事で読んだのですが、レコード会社側はそれまでの歌と同じ系統の歌を要望してきたそうですが、それを押し返しての「いとしのエリー」でした。もし、前作2曲と同じ調子の歌ばかりを続けていたなら、長期的にはわかりませんが、短期的には人気が続かず消えていたのではないでしょうか。そんな気がします。

いとしのエリー」はTBSの「ふぞろいの林檎たち」というドラマの主題歌にもなっています。「いとしのエリー」の発売は79年で、「ふぞろいの林檎たち」は83年の放映で、4年もあとの主題歌起用でしたが、このドラマにピッタリはまる歌でした。当時は、「ドラマのTBS」と言われていましたが、TBSの真骨頂の発揮といったところでしょうか。当時の波に乗っている勢いを感じさせるドラマでした。

ふぞろいの林檎たち」は山田太一さんが脚本を書いていますが、当初は東大生の青春を書くつもりだったそうです。ですが、学生にいろいろとインタビューをしていくうちに三流大学生の気持ちを描く方向に話が展開していったそうです。結局、それが若者の気持ちを捉えたのですが、普通に考えますと、若者のほとんどは東大卒ではなく、平凡な学生の方が圧倒的に多いのですから、当然といえば当然といえそうです。ちなみに、山田さんは東大卒の方でした。

それはともかく、3曲目の「いとしのエリー」が大ヒットしたことでその後のビッグバンドへの道が開け、その成功が映画監督への道を切り開きました。桑田さん初監督の映画は「稲村ジェーン」という作品で、その主題歌が「真夏の果実」というわけです。映画も歌も大ヒットしたのですが、実は映画のほうは興行的には成功だったにもかかわらず、作品的には専門家から批判を受けました。

僕の個人的な感想を言いますと、作品的にもよかったと思っているのですが、専門家のみなさんからしますと、不満だったようです。これも僕の勝手な想像ですが、映画業界はとても職人的な気質の人が多いので、専門外の人が軽々しく映画に参入してくるのが許せなかったのではないでしょうか。僕はそんな感じがしています。

実は、同じころに作詞家・プロデューサーとしても大成功を収めていた秋元康さんも映画監督に進出しているのですが、桑田さん同様、作品を批判されていました。こうした事例を見ていますので、僕には映画業界独特の雰囲気があるように思います。

ただ一人例外なのは、ビートたけしさんこと北野武さんです。北野さんだけは、映画業界の人にも認められているのですが、北野さんの場合は特殊で、そもそも北野さんを監督に抜擢したのは松竹の大物プロデューサーでした。そうした後ろ盾がいましたので、映画業界でも受け入れられたと思っています。もちろん、「ソラチネ」という素晴らしい映画を作ったことも大きいとは思いますが、「ソラチネ」にしても、興行的には今一つだったのが、実際のところです。

僕が「稲村ジェーン」を観て感じたのは、50年~60年代のアメリカでした。今の若い人からすると不思議に思うかもしれませんが、僕の青春時代は70年代後半ですが、その頃に僕たち若者は50年~60年代のアメリカに憧れていたのです。ですので、僕がおしゃれの参考にしたのは、当時ハリウッドで人気のあったジュームズ・ディーンさんでした。

おそらく桑田さんが意識していたのも50年~60年代のアメリカだったと思います。映画のポスターに描かれている軽トラックなど、まさにアメリカを象徴しているように感じます。また、桑田さん自身が湘南で育っていますので、そのこと自体も影響しているのは間違いありません。

その映画にピッタリはまるのが「真夏の果実」です。フォークソングの重鎮であるよしだたくろうさんは、歌は「記録よりも記憶に残る」作品のほうが名曲だと語っていましたが、「真夏の果実」はまさにいつになっても記憶から消えることはないでしょう。名曲中の名曲に入ることは間違いありません。

それでは、また。

DESTINY

歌:松任谷由実 作詞・作曲
1979年12月1日発売 アルバム「悲しいほどお天気」収録曲


ユーミンこと松任谷由実さんはデビュー当時は荒井由実さんとおっしゃっていました。松任谷正隆さんと結婚したので「松任谷」姓になったのですが、ユーミンさんの歌で僕が好きな歌はみんな「荒井」姓時代のものです。と思っていたのですが、僕の勘違いでした。今回、取り上げるに際して調べましたところ、なんと「荒井」姓のときってわずか7曲しか発表していないのですね。なんか、「松任谷」さんになったのは、ずっとあとのように思っていましたが、ヒット曲のほとんどは「松任谷」さんになってからでした。

ユーミンさんについてはハイファイセットの「卒業写真」の回でも少し書きましたが、ユーミンさんは天才です。世の中の若い女性の気持ちを掬い上げることと、心の中に入っていくメロディーを作る天才です。前に紹介しました「ハイファイブレンド」は大学生の時代風景を描いたアルバムですが、学生の気持ちとともに女性の気持ちの揺れを描く天才でもあります。

僕が最初にユーミンさの歌を知ったのは「あの日にかえりたい」や「翳りゆく部屋」という歌がヒットしたときでした。「翳りゆく部屋」の前奏はパイプオルガンではじまるのですが、厳かな雰囲気を醸し出させ、まるで教会にいるような気持ちにさせる歌でありメロディーです。

それに対して「DESTINY」は女性の失恋したときの気持ちを歌っていますが、

♪冷たくされて いつかは
♪みかえす つもりだった
♪それから どこへ行くにも
♪着かざってたのに

♪どうしてなの 今日にかぎって
♪安いサンダルをはいてた

最後の「今日にかぎって 安いサンダルをはいてた」、このオチがなんともいえないっす。人生ってうまくいかないですよねぇ。

この歌と同じ雰囲気を感じるのは「ルージュの伝言」ですが、映画のストーリーを想起させる歌詞になっていて、本当に一本の映画を観たような気分になってしまいます。ユーミンと聴いて僕が思い出すのは作家の田中康夫さんです。田中さんは「なんとなく、クリスタル」でデビューした作家ですが、その田中さんがなにかのインタビューで「学生時代にユーミンの家によく行っていた」と答えていました。

ユーミンの自宅に行っていた理由は、学生が集まってしゃべるサークルのようなものがあり、そこに参加していたからです。なんのためにそんなサークルを開いていたか、というと時代の雰囲気を知りたかったから、と田中さんが答えていました。しかし、ユーミンさんはある新聞のインタビューでは、「たまたま近所に同世代の女学生がいて、自分がたまたま歌手デビューしているときで、大学に行っていなかったので大学生の実態を知りたかったから」と答えていました。

どちらにしても、その時代の若者の気持ちを掬うのは簡単ではありません。人一倍の感受性がなければ聞き逃してしまいます。作詞家の阿久悠さんは、「当人さえも気づいていない心の中を読み込むのが作家の仕事」と語っていましたが、ユーミンさんはそれを実行していたことになります。

ユーミンさんの全盛期はちょうど少年ジャンプの全盛期と重なっているのですが、少年ジャンプが600万部という驚異的な売り上げを上げていた当時、ユーミンさんのアルバムも300万枚売れていました。そのとき、ユーミンさんが少年ジャンプを引き合いに出して「まだまだ伸びしろがある」ような発言をしていたように記憶しています。僕の記憶違いかもしれませんが、それほど勢いがあったのは事実です。

たくさんのアーティストが生まれる中、何十年と第一線で活躍しているユーミンさんはやはり天才です。

それでは、また。

 

二十歳のめぐり逢い

シグナル(フォークグループ)1975年9月21日発売
作詞・作曲:田村功夫

この歌はフォークが若者の心を掴んでいた頃にヒットした曲で、好景気とかバブルとかそのような社会にめぐり会う前の若者に支持されていました。本来ののフォークソング全盛期と言いますと、この時代よりもさら数年さかのぼると思うのですが、まだフォークソングの残り香が残っていた頃ですので、このような歌詞が若者に受けていました。

実は、僕はこの頃18歳くらいで、青春真っただ中にいたのですが、どちらかと言いますと貧乏くさくて暗い青春が本当の青春と考えていたたように思います。マンガでは「同棲時代」のような若者の挫折をテーマにした劇画的なものがヒットしていたように思います。

この歌を聴くと必ずセットで思い出すのがジュリーこと沢田研二さんが歌っていた「時の過ぎゆくままに」です。なぜ「セット」になるかと言いますと、この2つの歌詞が正反対のことを歌っているからです。

「二十歳のめぐり逢い」の歌詞には
♪手首の傷は消えないけれど
♪心の痛みは僕がいやしてあげる

とあるのですが、「時の過ぎゆくままに」には
♪からだの傷ならなおせるけれど
♪心の痛手はいやせはしない

と歌っています。全く正反対のことを歌っているのですが、

「いったい本当はどっちなんだ!」と

青春真っただ中の僕が戸惑ったのもわかっていただけると思います。六十半ばになった今では「どちらも正解」と思っていますが、若い頃はどちらかに決めないと優柔不断な男のように思えて悩んでいました。(笑)

今この2つの歌詞を読んでいて「へぇ~、すごいな」と思ったことがあるのですが、それは「いやす」という言葉を使っていることです。「いやし(癒し)」という言葉が社会で使われるようになったのは、僕の記憶では2011年の東日本大震災のあとからだと思います。その30年以上前にすでにこの言葉を使っていたことに作詞家の凄さを感じました。

下田逸郎さんの歌については以前このコラムで紹介したことがありますが、その下田さんには「月のあかり」というバラードがあります。歌っているのは桑名正博さんですが、心を揺さぶられる名曲です。その歌詞の中に

♪お前のしぐさの ひとつひとつが
♪どれだけこの俺 救ってくれたか

とあるのですが、もし今の時代に合わせるなら「救ってくれたか」よりは「癒してくれたか」のほうが時代に似合っているように思います。それはともかく、「二十歳のめぐり逢い」では

♪手首の傷は消えないけれど
♪心の痛みは僕がいやしてあげる

です。当時、「こんな恋愛がしたいなぁ」と思っていましたが、人生は思い通りにいかないのが普通です。恋愛なんて、時間とともに薄れていくものさ、と達観したのは結婚して3年を過ぎた頃でしょうか。

そんなときにYouTubeで見つけたのが同じ頃にヒットしていた鈴木一平さんの「水鏡」という歌です。この方はヤマハポプコン出身なのですが、澄んだ声で可憐な歌詞が心に中に染み入ってきます。

♪私だけの貴方にはなってくれるはずがない
♪心のぬくもりも今は

本当の恋愛は「片思い」が理想なのかもしれません。

それでは、また。