心に残った歌

今までに心に残った歌(昭和後半~)

「たえこMY LOVE」


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吉田拓郎
1976年12月5日にリリース 12枚目のシングル

 

学生時代、カトウ君と一緒に喫茶店でお茶をしていました。「お茶」といいながら、本当は「コーヒー」ですが、今の若い人はこのようないい方をするのでしょうか。一応、ダサいかもしれないけど、説明してみました。(^_^;)

 

絵文字を書いてみましたが、絵文字も本当は僕には不似合いですが、ここ3~4年取引先の方がメールに絵文字を書いてきており、意外に好印象でしたので書いてみました。ちょっと古いのかもしれませんが、お許しを…。

 

それはさておき、「たえこMY LOVE」です。僕は高校時代まで運動少年でしたので、そのほかのことにはあまり詳しくはありませんでした。そんな僕が大学生になり、普通の若い人が興味を持ちそうなことに触れ始めたのですが、そのひとつがフォークソングといいますか、当時はニューミュージックといっていたような気がしますが、要は演歌でもなくアイドルでもなく、若い男女が関心を持ちそうな歌です。

 

僕はサザンオールスターズと同年代なのですが、サザンがデビューした当時、僕も大学生をデビューしていました。そのとき、吉田拓郎さんはすでに超大物で、サザンやユーミンさんたちのもうあと一世代前のビッグ歌手でした。ほかには井上陽水さんとか泉谷しげるさんとか、六文銭など錚々たる大物の方々がいました。「歌手」などといっては怒られるくらい存在感がある人たちでした。

 

話は少し逸れますが、僕はタクシー運転手時代に泉谷さんを乗せたことがあります。渋谷から若い女の子と一緒に乗って来たのですが、今の時代からしまうと、セクハラといえそうなカップルだったことを覚えています。

 

 

ついでにいいますと、僕は渋谷を拠点にしていましたので、キャロルのジョニー大倉さんとか演歌の内藤やす子さん…、なんかオジサンの自慢話になりそうなのでここでやめます。

 

さて、「たえこMY LOVE」です。将来タクシー運転手になる大学生の僕はカトウ君と一緒に学校近くの喫茶店に入っていました。カトウ君は貧乏人の僕とは違いお金持ちのボンボンで、生まれも育ちも僕とは全く毛色の違う大学生でした。そんな僕たちが一緒に喫茶店に入る仲になったのは、単にクラスが同じだったからです。

 

大学にも「クラス」があることに驚く人もいそうですが、おそらく大学側は新入生はまだ大学生活に慣れていないので、友人を作りやすくするために一応便宜上クラスという制度を作ったように想像しています。

 

確かに、全く見ず知らずの若者が集まる中で、毎回違う授業を受けるのでは友だちを作るのは大変です。特に地方から出てきた人たちはそうだったのではないでしょうか。まぁ、そういうわけで、僕はカトウ君とたまに一緒に喫茶店に入る仲になりました。

 

そして、あの日です。カトウ君と一緒にいつもの喫茶店に入り、席に座ってなにかを話していたときに、天井のスピーカーから拓郎さんの「たえこMY LOVE」が流れてきたのです。この歌の出だしは、静穏の中、雨が降っている音だけがしばらく続きます。そして、突然「たえこMY LOVE」と拓郎さんのシャウトする声が聞こえるのです。当時、僕はこの歌に魅了されていました。ですので、ついカトウ君に言ってしまいました。

 

「この歌って、いいよなぁ。拓郎さんの声ってすごいよなぁ」

カトウ君は僕の顔をしばらく見て、それから言いました。

「僕はモーツァルトの〇〇のほうが、いいと思うけどなぁ…」

 

そうなのです。カトウ君は「クラシック音楽の方が素晴らしい」と宣うのでした。しかも、真顔で。僕はといえば、クラッシックで知っているのは神経質そうな表情のベートーベンの「第九」くらいです。世の中にはいろいろな人がいることを知った日でした。

 

確か、カトウ君の実家は幼稚園を経営していたように記憶していますが、カトウ君は一度大学を卒業したあと、数年してから大学院に進学しています。これは僕の憶測以上のなにものでもありませんが、カトウ君は将来のお嫁さんを見つけるために大学院に進んだように邪推しているのですが、どうでしょう。

 

そのカトウ君は、僕がラーメン店をはじめたとき、たまに一人で食べに来てくれていました。カトウ君の家と僕のラーメン店は結構な距離だったのですが、それでも夜の9時ごろにふらりと食べに来て、なにを話すでもなくカウンターの端に座り、漫画など雑誌を読みながら小一時間ほど時間を過ごしていました。

 

僕は「たえこMY LOVE」を聴くたびにカトウ君を思い出します。

 

それでは、また。