心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

あれから二人

作詞作曲:浜田省吾
アルバム「青空の扉~THE DOOR FOR THE BLUE SKY~」9曲目
1996/11/11 released


これまで幾度もハマショーさんの歌を紹介してきましたが、またまたハマショーさんの歌です。基本的にハマショーの歌詞は映画を観ているような感じになることが多いのですが、この歌はその最たる歌と言える歌詞になっています。

 

この歌の歌詞は、まさに恋愛映画そのものです。僕は登場人物の外見まで想像できるのですが、女性はダイアン・レインがピッタリなのですが、男性はハマショーさん自身が当てはまります。これは僕の想像ですが、もしかしたならこの歌はハマショーさんの体験からきているのかもしれません。なぜなら、歌詞の中に

 

♪おれのレコードを聴いたことがあると

 

とあるからです。でも、それが本当だとしたら、

 

♪痛みも喜びも感じる
♪君の肌から 君の吐息から

 

という歌詞はちょっと物議を醸しそうです。でも、ハマショーさんは「純愛」と「不倫」のどちらもテーマにしていますので、あり得ない話ではありませんね。


♪放課後 君が教科書をかかえて
♪グランドを歩く姿 遠くから見送ってた

 

この歌詞は、結構思い当たる人が多いんじゃないでしょうか。なんとなく、そんな気がします。僕はこのシチュエーションに惹かれるですが、その理由は僕の高校時代の過ごし方に関係しています。

 

僕は、高校3年の夏安み前まではクラブ活動に精を出していましたので授業が終わったあとの時間の過ごし方で困ったことはありませんでした。しかし、3年生にもなりますと受験を控えていますので5月の連休明けにクラブ活動を引退することになります。そうしますと自ずと、一気に暇な時間が増えてきます。なにしろクラブを引退するまでは高校生活のうち、授業時間以外はすべてクラブ活動に費やしていたのですから、閑な時間があまってあまって仕方ありませんでした。

 

そんな僕は、どちらかと言いますと、貧乏の範疇に入るレベルの家で暮らしていましたので、家に帰っても落ち着ける場所がありませんでした。自分の部屋などありませんでしたので仕方ありませんでした。ですので仕方なく、教室にひとり残り、一応勉強の恰好だけをしていました。そんなとき、気晴らしに窓から外を眺めることがあったのですが、ある日たまたま僕が密かに思いを寄せていた女の子を見かけたことがありました。僕は、この歌を聴くたびにそのときの光景が思い出されます。

 

僕にとってこの歌は青春の一ページというわけですが、その後僕はこの女性と駅で偶然出会うのですが、この歌のようには展開しないところが、現実と歌との違いでしょうか。

 

それでは、また。

 

海を見ていた午後

ファーストアルバム「卒業写真」(1975年2月5日発売)の10曲目
作詞・作曲:荒井由実

 

僕が学生時代に好きだった歌ですが、ハイファイセットさんは「卒業写真」も紹介したことがあります。どちらにも共通することですが、ユーミンさんには全く持って申し訳ないのですが、どちらもユーミンさんが歌うよりも山本さんの声のほうがピッタリな歌です。

 

ですが、いくら山本さんの歌声が素晴らしいと言っても、この歌を作っているのは天下のユーミンさんです。ユーミンさんは失恋の歌を書かせたら天下一品と思っていますが、人の心のヒダを掬うのが本当に素晴らしいです。天才とはユーミンさんのためにあるのでしょう。

 

そうは言っても、この歌の魅力を余すことなく表現できるのは山本潤子さんです。もう活動はしていないようですが、あの素晴らしい澄んだ歌声のまま活動に終止符を打つのは悪いことではないと思っています。実際、ネットで終わりの頃の映像を見ますと、歌声に衰えを感じ、少し寂しくなりました。

 

この歌はメロディーも素敵ですが、なんと言っても歌詞が心に染み入ります。

 

♪あなたを思い出す
♪この店に来るたび

 

小説の一篇を読んでいるような気持ちになりますが、情景が目に浮かんできますので勝手にMVを見ているようでもあります。

 

僕は好きな歌は歌詞よりもメロディーが記憶に残ることが多いのですが、実は最初はこの歌もメロディーが先に記憶に刻み込まれていました。つまり、歌詞はあまり頭に入っていなかったのですが、それでも口ずさみたいときは適当な歌詞を入れて歌っています。

 

この歌も僕はずっと違う歌詞を当てはめて歌っていたのですが、その部分がここです。

 

♪紙ナプキンには 
♪インクがにじむから

 

が正しい歌詞なのですが、僕はずっと長い間、

 

ヤマアラシには
♪ピンクが似合うから

 

と勝手に歌詞を作って歌っていました。しかし、当然ですが歌詞の辻褄がありません。合っているのは文字数だけですが、それでもずっと気にせず歌っていました。ところがある日ふと、たまたま歌詞をきちんと聴く機会があり、初めて「紙ナプキンには インクがにじむから」とわかったのですが、そのときの感動と言ったら、言葉では言い表せないほどの驚きでした。

 

僕の青春時代は、この歌詞に出てくるお店にわざわざ行く人もいたんですよ。いわゆるおしゃれな人ですが、僕はおしゃではなかったので、行ったことはありません。

 

それでは、また。

「長い間」

1996年にインディーズシングルとして発売
作詞・作曲:玉城千春 歌:kiroro

 

先週、沖縄出身の喜納昌吉&チャンプルーズさんの「花」を紹介しましたが、今週も沖縄出身の「kiroro」さんの楽曲です。このデュオは玉城千春さんと金城綾乃さんが高校時代に知り合ったことが縁で結成されたそうです。

 

歌っているのは玉城さんですが、玉城さんは松田聖子さんに歌声が似ていると言われていました。また歌も抜群に上手いのですが、楽譜や楽器などはダメだそうで、ピアノが弾ける玉城さんがそれを代わりにやったことで結成したそうです。

 

この二人を見ていますと、音楽で身を立てようと地方から東京に出てきた人たちの一般的な移り変わりを感じることができます。漫才師にも当てはまるのですが、二人のうち一人だけに世間の注目が集まることがありますと、そうしたときに、二人の関係に微妙にすきま風が吹くことがあります。

 

マスコミといいますか、業界の人たちは常に人気のある人に「乗っかろう」という習性があります。俗にいう「一発屋」という人たちは、業界の人たちから使い倒されて消えていく人ですが、二人組の場合も片方だけが注目を集めたり人気が出てしまいますと、二人組であるにもかかわらず、残りの一人を蔑ろにすることがままあります。

 

そうした状況になったときに、注目を集めた人または人気が沸騰した人が個人の人気にうぬぼれることなく、二人組で仕事を受けようという優しい心づもりのある二人組はその後も成功するように思います。先週、博多華丸大吉さんのコラムを書きましたが、まさに華大さんはそうした理想的な姿です。

 

しかし、中には自分一人だけ階段を上ろうとばかりに相方を置き去りにしてさっさと自分だけいい思いをしようと考える人もいます。そこに軋轢が生まれ、そうしたグループは違う道を歩むようになりますが、反対にそうした状況のときでも二人で力を合わせて活動するグループはその後の関係も続いていけるものです。

 

ここから先は僕の全くの想像の世界ですが、kiroroのお二は地元で活動している間は、玉城さんは楽譜も書けませんし読めませんし、楽器も弾くことができませんので、そうした部分を金城さんが引き受けることでお互いの関係がスムーズな状況でいられました。もしかしたなら、玉城さんは楽譜も読めませんので、金城さんが上で歌うだけの玉城さんは下の関係だったかもしれません。

 

ですが、歌がヒットして上京してきますと、環境は一気に変わってきます。上京したあとの環境では楽譜など読めなくても問題なく、ピアノを弾ける人もいくらでもいます。そうした環境では、それまで玉城さんの貴重な相棒であった金城さんは存在する意味がなくなる場合もあったのではないでしょうか。

 

なにしろ作詞作曲するのは玉城さんです。金城さんは伴奏をするだけなのです。業界や周りの人が玉城さんだけを求めようとするのは容易に想像ができます。おそらく金城さんのほうが気後れするよう場面もあったのではないでしょうか。そうしたとき、二人の間に少しずつすきま風が吹いてきてギクシャクした関係になっても不思議ではありません。

 

僕にそうしたことを想像させたのは、10作目のシングル「Best Frend」です。この歌は玉城さんの金城さんへ素直な気持ちを綴った手紙です。大切な親友への心のこもった思いを吐露した手紙です。どんな人も成長するに従いつき合っていく人が変わってくるものです。ある意味、それは仕方のない面もありますが、青春時代の親友を一生涯大切にしようという生き方があってもしかるべきです。

 

kiroroのこの歌を聴くと、いつも本当の親友がいることの素晴らしさを感じずにはいられません。

 

それではまた。

作詞作曲:喜納昌吉
オリジナル・バージョンは、1980年に喜納昌吉&チャンプルーズの2枚目のアルバム『BLOOD LINE』に収録
多くの人がカバーしていますが、シングルとして発売したのは石嶺聡子さんです。


僕が最初に聴いたのは喜納昌吉&チャンプルーズさんが歌っているものですが、それから大分月日が経って95年に石嶺聡子さんがカバーして大ヒットしています。喜納昌吉さんは沖縄の方ですが、石嶺さんも沖縄出身ということは無縁ではないでしょう。冒頭で書きましたように、本当に多くの人がカバーしているのですが、それだけ「魅力的な歌」ということの証です。そして、もっと大事なことですが、「飽きられない」メロディーなのです。

 

以前、フォークの神様と言われた吉田拓郎さんが「名曲」とか「いい歌」というのは売れた枚数とかダウンロードされた数ではなく、どれだけ長い期間「歌い継がれるか、で決まる」と話していたことがありますが、まさにこの歌は「名曲中の名曲」と言って差し支えないしょう。

 

実は、この歌に関しては僕の中で思い違いがあったのですが、それを書きたいと思います。ここ10年くらいに限りますと、この「花」を耳にするのは、喜納さんでもなく石嶺さんでもなく、夏川りみさんです。試しに、YouTubeで「花」を検索しますと、夏川さんが最初に出てきます。夏川さんがいろいろな番組などで歌っているからだと思いますが、それが僕を勘違いさせていました。

 

僕は石嶺さんがカバーしたのも知っていましたので、「花」で検索して夏川さんが最初に出てくるのは夏川さんが石嶺さんからこの歌を「奪ったから」と思い込んでいました。実は、石嶺さんは「花」が大ヒットしたあと中々日の目を見ることができず、どちらかと言いますとマイナーな芸能活動をしていました。

 

同じように夏川さんも一度メジャーデビューをしたあと不遇の時代を過ごし、一時は沖縄に戻っています。そののちいろいろな変遷を経て再デビューするのですが、そのときに「花」を歌って成功を収めていた、と思っていました。つまり、喜納さんは別格として、夏川さんが石嶺さんを差し置いて「花」の第一人者になったと勘違いしていたのです。

 

僕は夏川さんという人は同郷でありながら、「なんと冷たい人なんだ」と憤っていたのです。しかし実際は、夏川さんが再デビューを果たしたのは「花」ではなく、同郷の先輩BEGINが作曲し森山良子さんが作詞した「涙そうそう(なだそうそう)」という歌でした。夏川さんには本当に申し訳ないことをしてしまった、と反省しています。

 

と、勝手に憤り謝罪をしましたが、「花」と「涙そうそう」には共通点があります。それは平和を追い求めていることです。喜納さんが最初に歌った「花」には「~すべての人の心に花を~」という副題がついています。喜納さんが沖縄という複雑な歴史を抱えた地域に生まれたからこそ生まれた楽曲だと思います。そして、「涙そうそう」も過去から現代、そして未来へと続く普通の平和な暮らしに思いを馳せる歌です。

 

涙そうそう」は森山良子さんの作詞ですが、その森山さんは反戦を訴えた「さとうきび畑」という名ドラマの主題歌を歌っています。それらが僕の中で合わさって「涙そうそう」も反戦の歌のように思っています。

 

僕は政治的な思想はありませんが、戦争だけは起こしてはいけないと思っています。戦争で得をするのは一部のズルい人だけです。普通に市井で生活をしている人たちは苦しむだけです。しかし、政治に無関心な人が多い現代において、知らぬ間に戦争へと向かいそうで心配でなりません。

 

もちろん、いくら戦争反対と言っても、よその国が攻めてきたなら戦争は避けられないかもしれません。ですが、そうならないために普段から政治に関心を持ち、不幸な道に進まないようにすることが大切です。

 

もうすぐ衆議院選挙がありますが、僕がとても不安なのは投票率が低いことです。最近の選挙の投票率は50%前後が関の山です。政治を動かすのは選挙の一票です。決して誰かが決めてくれるわけではありません。

 

どうか、どうか、政治に関心を持ってほしいと願っている年寄りの入り口にいる僕でした。

 

それでは、また。

 

さだまさしさんの「異邦人」

1976年11月25日発表のソロ1枚目のオリジナル・アルバムの1曲


「異邦人」というタイトルですと、どうしても久保田早紀さんの「異邦人」を思い出す人のほうが多いと思います。ですので、わざわざ“さだまさし”さんとはじめにつけました。とは書きつつ、今の若い人はどちらの「異邦人」もご存じないのではないか、と思っています。

 

さださんの「異邦人」は1976年発表の「帰去来」というアルバムに入っている歌で、久保田さんの「異邦人」は1979年にシングルとして発表された歌です。どちらがヒットしたかと言いますと、断然に久保田さんのほうです。久保田さんの歌はあるメーカーのテレビCMに使われたのですが、当時の言い方ですと「タイアップ」と言っていたように思いますが、それはともかくテレビのCMで流れるのですから宣伝効果が全く違いますので、大ヒットするのも当然でした。

 

しかし、久保田さんの「異邦人」が広告的に有利だったということだけではなく、メロディー的に優れて魅力的だったことも大ヒットした要因です。レコードのサブタイトルが「-シルクロードのテーマ-」となっていたのですが、アレンジも含めて東洋のエキゾチックな雰囲気を感じさせる楽曲でした。

 

あ、いけない。今回のメインは“さだまさし”さんの「異邦人」でした。僕が好きになるタイミングには「リアルではない」という特徴がありますが、この歌もその例に漏れておらず、発表されてからかなり年月が経ってから知ることになっていました。

 

久保田さんの「異邦人」は東洋的な雰囲気がする、と書きましたが、さださんの歌は「フランス風」な感じがします。歌詞を聴いていただくとわかるのですが、フランス映画を一作見たような錯覚に陥ります。

 

♪今更アルバムなんてほしくはないけれど
♪それがあなたのひとつだけの 形見となれば別だわ

 

これは出だしの歌詞なのですが、この出だしで一気に物語に引き込まれます。物語がはじまる気配をすぐに感じとることができます。歌詞を聴いていると、自然に風景が頭の中に浮かんでくるのです。

 

僕が好きなテレビ番組に「プレバト」というダウンタウンの浜ちゃんがMCを務めている番組があるのですが、その番組には「俳句コーナー」があります。そのコーナーで審査員を務めている夏井いつき先生という名物先生がいるのですが、その先生がいつも言っているのは「映像」です。夏井先生は映像と音を五七五の中に入れることをとても重要視しているんどえすが、さださんの「異邦人」の歌詞はまさに映像が浮かんできます。その意味で言いますと、この歌は「俳句的」と言えるかもしれません。

 

2番の歌詞は

♪狭いドアをあければ 涙を拭いもせず
♪あなたにすがる可愛い人 あなたの最後の人

 

おそらくそう遠くないときに命を終えるそのベッドの主は別れた旦那さんなのです。そして、その旦那さんには再婚して素敵な奥様がいるのです。そうしたことがどこはかとなく伝わってくる歌詞となっています。これを名作品と言わずなんと言いましょう。

 

僕の勝手な想像ですが、フランス映画には「人生にはいろいろあるよ」というテーマが根底に横たわっているように思っています。離婚をすることも、そして別れた夫との時間をたどることも、そして新しい妻と出会うことも、すべて「人生にはいろいろあるよ」と綴っているように思えて仕方ありません。

 

さださんは20代の頃に莫大な借金を抱え、それをずっと返済していたそうです。借金の原因は映画製作なのですが、そうしたリスクを冒しながらも挑戦し活躍している姿は尊敬の念しか浮かびません。さださんはNHKでずっと番組を持っているのですが、さださんを尊敬する人がプロデューサーにいるのでしょう。そうした人がいること自体が、いかにさださんが素敵な人かを教えてくれています。

 

それではまた。

僕と彼女と週末と

作詞作曲:浜田省吾
1982年に発表されたアルバム「PROMISED LAND 約束の地」収録曲

 

これまでに書いていますように浜田さんは「純愛」と「不倫」と「社会的メッセージ」の3つのカテゴリーで作品を発表しているのですが、この楽曲は「社会的メッセージ」に入る歌です。

 

1982年の時点で原爆について書いているのが、なんともすごい!と思うのですが、いかに社会に関心を持っていたかがわかる歌詞です。僕はYouTubeで浜田さんがラジオで話している声を聴いたことがあるのですが、浜田さんは武道館を成功させて頂点を極めたあとしばらく「燃え尽き症候群」に陥っていたように感じていました。

 

そうしたこととこの作品がどこかしらリンクしているように思っているのでしょうが、どうでしょう。とここまで書いてきて、「浜田さん」と書きますと、どうしてもダウンタウンの浜ちゃんが頭に浮かんできますので、ここから先は「ハマショー」さんにすることにします。(笑)

 

そのハマショーさんでさらに「すごい!」と思ったのが、2011年の東日本大震災のあとの行動でした。この楽曲は原発の危険性について訴えているのですが、東日本大震災の3か月後にハマショーさんは新聞の一面にこの歌の歌詞を載せたのです。こんな発想だれが思いつくでしょう。

 

おそらくですが、ハマショーさんの自腹ではないでしょうか。そんな感じがします。デビューアルバムの中に入っている「生まれたところを遠く離れて」はどこか十字架を思い起こさせるものがありますが、地球の温暖化が叫ばれ、地球が滅びるかもしれないという危機に際しても、経済活動から離れられない人間を想像させるものがあります。

 

♪誰もが何かを売り渡し
♪生きてゆくさ この世じゃ
♪だけど何も売るものがなかった
♪あの娘が何を売ったか

 

初めてこの歌詞を聴いたときは、鳥肌が立つほど心が揺さぶられました。これほど“社会の矛盾”と“しわ寄せは常に弱者に向かう”ことを歌った歌詞があるでしょうか。そして、もっと具体的に“社会の矛盾”を歌ったのが「僕と彼女と週末と」です。東日本大震災から10年が過ぎて、少しずつ原発の危険性に対する思いが薄れてきているように感じます。

 

放射能の危険がなくなったわけではありません。汚染水の処理方法もまだ確定しているわけではありませんし、農業や漁業の風評被害がなくなったわけでもありません。遠く東日本から離れた地域にいる人たちにとっては遠い過去の問題かもしれませんが、東北とくに福島の方々にとっては震災はまだ続いているのです。

 

そんなことを思い起こさせてくれるこの歌です。

 

それでは、また次回。

六本木心中

1984年10月5日に発売
唄:アン・ルイス
作詞:湯川れい子/作曲:NOBODY/編曲:伊藤銀次


僕がアン・ルイスさんを最初に知ったのは、まだ清純派だった頃で「グッバイ・ラブ」を歌っていたときです。とてもかわいらしい顔立ちでアイドルとして成功していたのではないでしょうか。曖昧な表現にしたのは、実はあまり詳しくはないからです。

 

それからしばらくして、この「六本木心中」を歌っているアンさんに出会うわけですが、その頃はすでに本音キャラクターでメディアを賑わせていました。当時、歌番組全盛でしたが、僕が見ていたのは「夜の人スタジオ」でした。そこで司会者の古舘一郎さんや吉村真理さんとのやりとりはとても楽しいものがありました。

 

その中で忘れられないのは、アンさんが「私の好きな俳優」としてある男優さんを公言していたですが、その男優さんをスタジオに招いたときです。もちろんアンさんに内緒で呼んでいたので、とても喜んだのですが、そのときの言葉が「是非、お相手していただきたいわ」という過激な発言でした。スタジオ中が大爆笑だったのですが、アンさんはそうしたキャラクターで人気を博していました。

 

「六本木心中」は大ヒットしたのですが、夜のヒットスタジオでの歌いっぷりがさらに人気に火をつけたように憶えています。当時、新人だった吉川晃司さんとの共演は、刺激感満載の素晴らしいコラボでした。もし、当時ツイッターがあったなら大爆発していたことでしょう。なにしろ、吉川さんがアンさんの後ろから腰を振りつつ押しつけるのですから、興奮しないほうがおかしいといものです。YouTubeで検索しますと出てくるはずですから、興味ある方はぜひご覧あれ。

 

アンさんは桑名正博さんと結婚するのですが、数年後に離婚しました。その離婚の際の桑名さんの会見が印象的でした。別に恨みがましいことや批判めいた言葉はなかったのですが、ただ一言「アンは友だちが多すぎるんだ」。やはり恋人時代と夫婦では価値観が変わってくるのを学んだ離婚会見でした。

 

明るいキャラクターの権化のようなアンさんでしたが、後年は精神的な病気を患ったようで、その姿を一度だけ見たことがありましたが、その変わりぶりに驚かされました。人間って、やっぱり精神的に健康であることがその人の人格にとって重要であるようです。

 

現在はどのようにしていらっしゃるのが存じませんが、お元気で過ごしていることを願っています。

 

それではまた。