心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

フレンズ

フレンズ
1985年10月21日発売
作詞:NOKKO 作曲:土橋安騎夫
歌:レベッカ

この歌の最も魅力的な歌詞は

♪口づけを かわした日は
♪ママの顔さえも見れなかった

ですよね。これに異論のある人はそうはいないでしょうが、この歌が発売されたのが1986年となっていますが、もうそのころには「ら抜き」が普通だったことがわかります。言葉に関して、僕の中でこの時期で一番記憶にあるのが「やばい」でした。

僕はこの年にラーメン店を開業しているのですが、そこで働いてもらっていた学生さんが「やばい」をいろいろな意味で使っていました。それが本当に驚いた記憶があります。僕の感覚では、「やばい」は「状況が悪い」ことを表していましたが、当時の若者は状況など関係なく「強調」の意味で使っていました。

「おいしい」を強調するときも「やばい」ですし、「きれい」のときも「やばい」です。とにかくなんでもかんでも「強調」したいときに使うのでした。もちろん「悪い」意味でも使うのですが、日本語を学んでいる外国の人からしますと混乱の極みではないでしょうか。

そんなことよりも…、「口づけをかわした日は、ママの顔さえ見れないのですね」、罪悪感で。そんな初心(ウブ)な時代もあったんだなぁ、って感じです。今の若い人は「ススンデいる」と言われているかもしれませんが、意外とこういう部分では昔と変わらないのではないでしょうか。そんな気がします。

この歌はリズムとメロディーが素敵ですので耳に残りヒットしたように思います。こんなことを書いたら怒られるかもしれませんが、最初の2行を除くとそれほど魅力的な歌詞でもないように思ってしまうのですが…。

失礼な感想ですね。申し訳ありません。

とにかく、この歌は出だしで「勝負決まり」という歌でした。

それでは、また。

PRIDE

1996年11月4日発売
作詞 布袋寅泰 作曲 布袋寅泰
歌 今井美樹

いつものことで、この歌を知ったのもリリースから大分経ってからです。ネットで調べたところ、この歌は1996年10月17日から12月19日までフジテレビ系「木曜劇場」枠で放送されたテレビドラマ『ドク』の主題歌だったそうです。ドラマの主題歌だったという点では、僕は「ひく」部分がありますが、多くの人に知ってもらう意味ではその方法が最も手っ取り早いのは間違いありませんので許すことにします。

僕がこの歌を知ったのは今井さんの歌声ではなく、旦那様の布袋さんがキーボードを弾きながら歌っている「YouTube」でした。布袋さんと言いますと、ギターリストというイメージがありますが、そうであるだけにキーボートを伴奏に歌っていたのは新鮮でした。

♪貴方を想うと ただせつなくて 涙を流しては
♪星に願いを 月に祈りを 捧げるためにだけに生きてきた

楽曲の長さが5分くらいありますので、聴いているだけでは感じなかったのですが、歌詞だけを見ますと、とても短い印象です。ある意味、この歌詞の量だけで楽曲を5分以上ももたせるのはすごいことです。

実はそんなことよりもこの歌を聴きますと、今井さんへに対する僕の妻の批判的な言葉を思い出してしまいます。どこまで正確かはまったくわかりませんが、妻の週刊誌情報によりますと、当時布袋さんには山下久美子さんというれっきとした奥様がいらっしゃったそうです。そんな奥様から旦那様を奪っておきながら

♪貴方への愛こそが 私のプライド

はないでしょう!というわけです。ネットで検索しますと山下さんとの離婚理由がいろいろと取りざたされていますが、所詮は第三者が勝手に言いたい放題しているだけだと思いますのでどれも信用できません。しかし、結婚している身でありながら今井さんとつきあったのは間違いないところですので、やはりそれなりに布袋さん、今井さんには責任があるように思います。

山下久美子さんのさしたるファンというわけでもなかったのですが、ただ一つ強烈に覚えていることがあります。80年代「ザ・ベストテン」という歌番組があったのですが、有名でしたの後存じの方も多いでしょう。その番組で当時学園祭の女王といわれていた山下久美子さんが本物の象に乗って出演していたのが強烈でした。しかも、服装はターザンのような「ジャングルで生活しているのか」と見まがうほどのワイルドが恰好で象にまたがって登場してきたのです。いやぁー、すごかった。カッコヨカッタ。

そんな山下さんと布袋さんはお似合いのカップルと思っていただけに離婚して、今井さんと結婚したのは少しばかり悲しい思いがしました。しかし、せめてもの救いは山下さんが明るく振舞っていたことです。自由奔放のイメージがあった山下さんですので、そのような逆境の中でもたくましく生きている姿もまた、ステキでした。

というわけで、僕は「PRIDE」を聴きますと、山下久美子さんを思い出してしまうのです。

それではまた。

 

スローバラード

1976年1月21日リリース
作詞・作曲:忌野清志郎 & みかん
歌:RCサクセション

毎度のことですが、この歌を知ったのも発売からずっとずっとあとのことです。「あと」と言いながらも、実際に「知った」というか「記憶に残った」というか、歌というかメロディーというか、表現が難しいのですが、とにもかくにも頭の片隅にインプットされたことは幾度もあったと思うのですが、そのときも題名はおろか歌詞の内容までは知りませんでした。

そうなんですよね。このメロディーを聴いて、「ああ、知ってる」と思うだけで、もちろん「いい歌」と感じていたわけですが、ただ漠然とした感覚で「知ってる」だったんですよね。そうした状態ですっといたのですが、しっかりと題名から歌詞の内容まで「きちんと知りたい」と思うようになったきっかけは、忌野さんが「さんまのまんま」という深夜のテレビ番組に出演したときです。

あの派手な外見でいながら、さんまさんと話すのがとても恥ずかしそうだったのがとても好感でした。おそらく照れ隠しだったと思うのですが、忌野さんは番組中ずっとギターを抱えながら話していました。そうした人柄を見てすっかり好きになりました。

曲の長さは4分とごく普通なのですが、歌詞が見事に短いのです。その短い歌詞で4分なのは、題名にあるとおり「バラード」だからです。基本的に僕はバラードに弱いのですが、ちなみにですが、僕はお酒にも弱いです。というかネバードリンク者です。

♪市営グランドの駐車場

♪カーラジオから

♪夜露が窓をつつんで

これらの歌詞で僕は「昭和」を感じるのですが、今の時代の若い人たちは、これらの歌詞からなにを感じるのでしょう。とても気になります。

忌野さんを次に観たのはテレビのドキュメント番組でした。ツアーに同行しているドキュメントだったのですが、忌野さんだけは自転車で移動していました。健康に意識をするようになっていたようなのですが、若くしてお亡くなりになったのは残念でなりません。忌野さんに最も似合う言葉は「純真」だと思っています。

その次に忌野さんに関する記事を見かけたのは、俳優の武田真治さんのインタビューでした。僕からしますと、武田さんといいますと若いときにナインティナインの番組に出演していたことが印象に残っていますので明るくてポップな人でした。ですが、実際はその真逆で鬱気味な感情にさいなまれることが多かったそうです。

そうしたどん底の精神状態のときに助けてくれたのが忌野清志郎だそうです。忌野さんが武田さんの話を聞き、ツアーに同行することを認めてくれたそうです。武田さんは「忌野さんがいなければ今の僕はいない」とまで話していました。ちなみに、武田さんを忌野さんに引き合わせたのは俳優の竹中直人さんです。

僕はいろいろな人の自伝のようなインタビュー記事を読むのが好きなのですが、思わぬ人が思わぬ人と知り合いだったり、助けたり助けられたりしている話を聞きますと、とても感動、感激した気持ちになります。

マスコミなどに注目されている「旬な人」についてはだいたいにおいて、表層的な人間性だったり人間関係などが語られることが多いので、本当の姿に接することはできません。しかし、芸能人としてのピークを過ぎたときに語られる話は、飾る必要もない状況ですので、その人の真実性が出ているように思っています。

武田さんの記事もそうでしたが、「旬でない」ときに語る武田さん、そして語られる忌野さんとの関係性は作り物ではない本当の姿のようでとても感動しました。マスコミは無理やりに「感動話」を取り上げたがりますが、マスコミに接するときはそうしたマスコミの特性も意識しておくことは大切です。

なんか今週の終わりは「好きな歌」コーナーではなく、コラム「じゃ、また」みたいな記事になってしまいました。まぁ、いいや。

それでは、また。

春夏秋冬

1972年9月25日リリース
作詞作曲:泉谷しげる
唄:泉谷しげる

泉谷さんは僕の世代のもう一つ上の世代のヒーローです。自分がいつ知ったのかはまったく覚えていないのですが、高校か大学くらいでしょうか。確かその当時はフォーク四天王と言われていた吉田拓郎さん、井上陽水さん、小室等さん、そして、泉谷しげるさんたちが音楽界を席巻していた時代だと思います。

この4人でフォーライフというレコード会社を作った、とメディアで大々的に報じられていた記憶があります。「四天王」の一人に入っているのですから、かなり売れていたのでしょうが、申し訳ないことに、あまり記憶はないのですね。

ただこの歌だけは、やけに印象に残っていて、それは歌の終盤の歌詞

♪きたないところですが
♪ヒマがあったら寄ってみてください
♪ほんのついででいいんです

が心に刺さったからです。なぜに刺さったか、と言いますと、この歌詞が「泣いた赤鬼」を彷彿させるからです。赤鬼は、本当は村人と親しくなりたかたったのに、「鬼」であるがゆえに村人から嫌われていたのですね。そこの部分がこの歌詞とオーバーラップして心に刺さりました。

赤鬼を救ったのは青鬼ですが、それを知った赤鬼はあとから涙するわけです。みんな必ず小さい頃に読んだのではないでしょうか。僕は小さい頃、大きくなったら青鬼みたいな、「人には知られずともやさしい大人になりたい」と思っていたのですが、結局は鬼になるだけの力量もなく人生を終えてしまいそうです。

実は、もうかれこれ40年くらい前のことですが、僕がタクシー乗務員をしていた28歳くらいの頃に、泉谷しげるさんをお客さんとしてタクシーに乗せたことがあります。夜の遅い時間に、渋谷から馬込のどこかあたりまで乗せたのですが、そのときは若い女性と同乗してきました。

まだ売れていない女性が泉谷さんに人脈をつけようとしているような会話だったのですが、その後どうなったのかは知りません。時代は昭和でしたから、ねぇ、大体想像つくでしょ。

そんな下世話な話はどうでもよくて、泉谷さんは地震など自然災害が起きたときは必ず支援活動をしています。社会に対する思いがとても強い方のようで、正義感が強い印象があります。だからこそ、春夏秋冬のような歌詞を書けるのでしょう。

その後、泉谷さんは俳優業にも進出するのですが、俳優としても存在感を出しています。ご存じの方も多いでしょうが、泉谷さんは小児麻痺の後遺症で足が不自由です。ですが、そうした症状を隠すわけでもなく、堂々と生きているところに感動した思いがあります。

時代的に、間違いなく「いじめ」があったと想像できますが、そんな境遇に負けずに生きているのは本当に尊敬に値します。

それでは、また。

YOU CHANGED YOUR MIND

1986年10月22日リリース
アルバム「STAY DREAM」に収録(7曲目)
作詞・作曲: 長渕剛
歌:長渕剛

前にも書きましたが、長渕さんは1993年頃までが好きです。それ以降は歌い方が変わってしまいましたので、あまり共感はしないのです。だって、まったく違う歌になっていますから…。

さて、この歌のタイトルを日本語にしますと、「君は気持ちが変わった」となるのですが、僕からしますと、まさに長渕さんが変わってしまったよなぁ、という思いです。変わる前の長渕さんは本当によかった。

♪あんた最近 ジーンズとスニーカーに合わないね

この出だしが素晴らしいですよね。この頃ユーミンさんが作り「ばんばん」さんんという方が歌ってヒットした「『いちご白書』をもう一度」という歌があるのですが、そこに

♪就職が決まって髪を切ってきた時
♪もう若くないさと
♪君に言い訳したね

という歌詞があるのですが、学生から社会人になる境目のワンシーンを歌っていました。学生時代とお別れする象徴が髪の毛というわけですが、人は年齢とともに変わっていくのが普通です。しかし、それでいいのか、もしかしたら悪い方向へ変わっているのではないか。もっとありふれた言い方をするなら「夢をあきらめるのか」と自問自答する青年がそこにはいます。

長渕さんは

♪変わってゆくものが お金のせいなら
♪俺はあんたに 唄は聞かせないよ

♪変わってゆくものが 暮らしのせいなら
♪俺はあんたに電話はかけないよ
♪だって一生友だちでいたかったんだから

と、純粋のままを求めていた長渕さんだったのですが、僕からすると、それがわかっていた長渕さんが変わってしまったのが残念でなりません。でも、年をとると仕方ないのかなぁ…、僕も含めて。

この歌の最後の歌詞はこうなっています。

♪だって一番 変わっちまったのは俺なのかもね

それでは、また。

 

恋のおちて

小林明子のデビューシングル
作詞: 湯川れい子 作曲: 小林明子

ご存じ「金曜日の妻たちへ」通称「金妻」の主題歌ですが、僕は当時、このドラマを見ていませんでしたので、大体の内容は知っていますが、詳細なストーリーまでは知りません。世間で大注目されていたにもかかわず、僕が見ていなかったのは僕がタクシーの乗務員をしていたからだと思います。

現在はどうなのかわかりませんが、当時乗務員の勤務形態は24時間働いて丸一日お休みというパターンを繰り返していましたので、金妻が放映されていた金曜の夜10時を観られなかっただと思います。もう40年近く前のことですので記憶は定かではありませんが、観た記憶がないことからしますと、おそらくそれが理由だと思います。

それでもこの歌自体はなんども聴いていましたし、タクシーでもラジオを聴くことは多々ありましたのでこの楽曲のことはもちろん知っています。ウキペディアによりますと、作詞の湯川さんの実体験とのことですが、そんなことを書かれちゃ旦那さまは立つ瀬がありません。

ですが、ウキペディアによりますと、実際は旦那様のほうが愛人とか隠し子がいたそうで、離婚に至っているようです。湯川さんの「実体験」ということですので、もしかすると当時お二人はダブル不倫だったのかもしれませんね。本当に愛とか結婚って難しいですよね。

♪ときめく恋に 駆け出しそうなの
♪迷子のように 立ちすくむ

♪ダイヤル回して 手を止めた

ここの部分が不倫を最も感じさせるところです。罪悪感、迷っているのが伝わってくる歌詞です。人間ですから結婚しているとはいえ、ほかの人を好きになることって誰でもありますよね。僕はありませんが…。ほんとですよね。ほんとですよ。
身体のことは別にして(^_-)-☆ 

この歌がヒットしてから40年近く経ちますが、週刊誌の見出しを見ていますと、人間って本当に同じことを繰り返していますよねぇ。進歩していないですよねぇ。

神様たちは、笑っているだろうなぁ…。

ということで、また来週。

 

地下鉄に乗って

1972.12.21 リリース
作詞:岡本おさみ
作曲:吉田拓郎

ウィキペディアによりますと、70年代に活躍したフォークグループですが、吉田拓郎さんがプロデュースをしていたそうで、だから作曲が吉田さんだったのですね。吉田さんが絡んでいたのをおぼろげな記憶で残っていましたが、プロデュースまでしていたのは知りませんでした。

この歌が好きだったのは僕自身が高校時代地下鉄で通学していたからですが、確かに社内はうるさかったです。

♪もっと大きな声でもっと大きな声で

♪走り出すまでの
♪あのわずかな静けさに話そうか

は乗車したことがない人でないと思いつかない発想です。

♪車輪の悲鳴が何もかも
♪こなごなに断ち切ってしまう

そうなんですよねぇ。そんな社内で部活の帰りにいつも一緒に帰っていた友だちがいました。名前をS君というのですが、S君はかなりの不良で頭はリーゼント、いつもしかめっ面をして歩いていました。もちろん肩をいからせて…。

からしますと、その姿勢は「だれか喧嘩をうってこないかな」といつも頭の中で考えているような戦闘的な外見に見えました。ある日、S君と地下鉄の入り口に入ろうとしていると、突然脇から学ランのツッパリふうの学生があらわれました。そして、S君の腕をつかむと入口横の空き地に引っ張っていきました。

S君がいつも待っていた「喧嘩の相手」です。

不良とはまったく縁遠い僕ですが、S君と並んで歩いていた関係上知らないふりもできません。仕方なく僕も一緒に行くことになりました。学ランさんは、身長はS君よりもかなり低いのですが、やはりそこは不良ですので迫力はあります。その学ランさんの話では、この辺りの高校を全部絞めるのが目的のようでした。

黙って聞いていたS君ですが、そこはやはり不良ですので、ただ黙って話を聞いていただけではありません。常に右手でリーゼントの頭を形を整えていました。その振る舞いが頭にきたのでしょうか、学ランさんは突然右足でS君の顔面めがけてケリを入れようとしました。S君は常に戦闘モードですので身体をうしろに逸らし、うまくそのケリをよけたのですが、僕が感心したのはその学ランさんの足の上がり方でした。

先ほども書きましたが、身長はそれほど高くないにもかかわらず、S君の顔面あたりまで十分に届くほど足をケリ上げていたからです。元ジャニーズの田原俊彦さんがよく足を上げるパフォーマンスをしていましたが、そのくらい上がっていました。

結局、その日はそれ以上揉めることもなく終わったのですが、不良も大変だなぁ、と実感した出来事でした。

それでは、以上現場から円山がお知らせしました。

また、来週。