心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

春夏秋冬

1972年9月25日リリース
作詞作曲:泉谷しげる
唄:泉谷しげる

泉谷さんは僕の世代のもう一つ上の世代のヒーローです。自分がいつ知ったのかはまったく覚えていないのですが、高校か大学くらいでしょうか。確かその当時はフォーク四天王と言われていた吉田拓郎さん、井上陽水さん、小室等さん、そして、泉谷しげるさんたちが音楽界を席巻していた時代だと思います。

この4人でフォーライフというレコード会社を作った、とメディアで大々的に報じられていた記憶があります。「四天王」の一人に入っているのですから、かなり売れていたのでしょうが、申し訳ないことに、あまり記憶はないのですね。

ただこの歌だけは、やけに印象に残っていて、それは歌の終盤の歌詞

♪きたないところですが
♪ヒマがあったら寄ってみてください
♪ほんのついででいいんです

が心に刺さったからです。なぜに刺さったか、と言いますと、この歌詞が「泣いた赤鬼」を彷彿させるからです。赤鬼は、本当は村人と親しくなりたかたったのに、「鬼」であるがゆえに村人から嫌われていたのですね。そこの部分がこの歌詞とオーバーラップして心に刺さりました。

赤鬼を救ったのは青鬼ですが、それを知った赤鬼はあとから涙するわけです。みんな必ず小さい頃に読んだのではないでしょうか。僕は小さい頃、大きくなったら青鬼みたいな、「人には知られずともやさしい大人になりたい」と思っていたのですが、結局は鬼になるだけの力量もなく人生を終えてしまいそうです。

実は、もうかれこれ40年くらい前のことですが、僕がタクシー乗務員をしていた28歳くらいの頃に、泉谷しげるさんをお客さんとしてタクシーに乗せたことがあります。夜の遅い時間に、渋谷から馬込のどこかあたりまで乗せたのですが、そのときは若い女性と同乗してきました。

まだ売れていない女性が泉谷さんに人脈をつけようとしているような会話だったのですが、その後どうなったのかは知りません。時代は昭和でしたから、ねぇ、大体想像つくでしょ。

そんな下世話な話はどうでもよくて、泉谷さんは地震など自然災害が起きたときは必ず支援活動をしています。社会に対する思いがとても強い方のようで、正義感が強い印象があります。だからこそ、春夏秋冬のような歌詞を書けるのでしょう。

その後、泉谷さんは俳優業にも進出するのですが、俳優としても存在感を出しています。ご存じの方も多いでしょうが、泉谷さんは小児麻痺の後遺症で足が不自由です。ですが、そうした症状を隠すわけでもなく、堂々と生きているところに感動した思いがあります。

時代的に、間違いなく「いじめ」があったと想像できますが、そんな境遇に負けずに生きているのは本当に尊敬に値します。

それでは、また。

YOU CHANGED YOUR MIND

1986年10月22日リリース
アルバム「STAY DREAM」に収録(7曲目)
作詞・作曲: 長渕剛
歌:長渕剛

前にも書きましたが、長渕さんは1993年頃までが好きです。それ以降は歌い方が変わってしまいましたので、あまり共感はしないのです。だって、まったく違う歌になっていますから…。

さて、この歌のタイトルを日本語にしますと、「君は気持ちが変わった」となるのですが、僕からしますと、まさに長渕さんが変わってしまったよなぁ、という思いです。変わる前の長渕さんは本当によかった。

♪あんた最近 ジーンズとスニーカーに合わないね

この出だしが素晴らしいですよね。この頃ユーミンさんが作り「ばんばん」さんんという方が歌ってヒットした「『いちご白書』をもう一度」という歌があるのですが、そこに

♪就職が決まって髪を切ってきた時
♪もう若くないさと
♪君に言い訳したね

という歌詞があるのですが、学生から社会人になる境目のワンシーンを歌っていました。学生時代とお別れする象徴が髪の毛というわけですが、人は年齢とともに変わっていくのが普通です。しかし、それでいいのか、もしかしたら悪い方向へ変わっているのではないか。もっとありふれた言い方をするなら「夢をあきらめるのか」と自問自答する青年がそこにはいます。

長渕さんは

♪変わってゆくものが お金のせいなら
♪俺はあんたに 唄は聞かせないよ

♪変わってゆくものが 暮らしのせいなら
♪俺はあんたに電話はかけないよ
♪だって一生友だちでいたかったんだから

と、純粋のままを求めていた長渕さんだったのですが、僕からすると、それがわかっていた長渕さんが変わってしまったのが残念でなりません。でも、年をとると仕方ないのかなぁ…、僕も含めて。

この歌の最後の歌詞はこうなっています。

♪だって一番 変わっちまったのは俺なのかもね

それでは、また。

 

恋のおちて

小林明子のデビューシングル
作詞: 湯川れい子 作曲: 小林明子

ご存じ「金曜日の妻たちへ」通称「金妻」の主題歌ですが、僕は当時、このドラマを見ていませんでしたので、大体の内容は知っていますが、詳細なストーリーまでは知りません。世間で大注目されていたにもかかわず、僕が見ていなかったのは僕がタクシーの乗務員をしていたからだと思います。

現在はどうなのかわかりませんが、当時乗務員の勤務形態は24時間働いて丸一日お休みというパターンを繰り返していましたので、金妻が放映されていた金曜の夜10時を観られなかっただと思います。もう40年近く前のことですので記憶は定かではありませんが、観た記憶がないことからしますと、おそらくそれが理由だと思います。

それでもこの歌自体はなんども聴いていましたし、タクシーでもラジオを聴くことは多々ありましたのでこの楽曲のことはもちろん知っています。ウキペディアによりますと、作詞の湯川さんの実体験とのことですが、そんなことを書かれちゃ旦那さまは立つ瀬がありません。

ですが、ウキペディアによりますと、実際は旦那様のほうが愛人とか隠し子がいたそうで、離婚に至っているようです。湯川さんの「実体験」ということですので、もしかすると当時お二人はダブル不倫だったのかもしれませんね。本当に愛とか結婚って難しいですよね。

♪ときめく恋に 駆け出しそうなの
♪迷子のように 立ちすくむ

♪ダイヤル回して 手を止めた

ここの部分が不倫を最も感じさせるところです。罪悪感、迷っているのが伝わってくる歌詞です。人間ですから結婚しているとはいえ、ほかの人を好きになることって誰でもありますよね。僕はありませんが…。ほんとですよね。ほんとですよ。
身体のことは別にして(^_-)-☆ 

この歌がヒットしてから40年近く経ちますが、週刊誌の見出しを見ていますと、人間って本当に同じことを繰り返していますよねぇ。進歩していないですよねぇ。

神様たちは、笑っているだろうなぁ…。

ということで、また来週。

 

地下鉄に乗って

1972.12.21 リリース
作詞:岡本おさみ
作曲:吉田拓郎

ウィキペディアによりますと、70年代に活躍したフォークグループですが、吉田拓郎さんがプロデュースをしていたそうで、だから作曲が吉田さんだったのですね。吉田さんが絡んでいたのをおぼろげな記憶で残っていましたが、プロデュースまでしていたのは知りませんでした。

この歌が好きだったのは僕自身が高校時代地下鉄で通学していたからですが、確かに社内はうるさかったです。

♪もっと大きな声でもっと大きな声で

♪走り出すまでの
♪あのわずかな静けさに話そうか

は乗車したことがない人でないと思いつかない発想です。

♪車輪の悲鳴が何もかも
♪こなごなに断ち切ってしまう

そうなんですよねぇ。そんな社内で部活の帰りにいつも一緒に帰っていた友だちがいました。名前をS君というのですが、S君はかなりの不良で頭はリーゼント、いつもしかめっ面をして歩いていました。もちろん肩をいからせて…。

からしますと、その姿勢は「だれか喧嘩をうってこないかな」といつも頭の中で考えているような戦闘的な外見に見えました。ある日、S君と地下鉄の入り口に入ろうとしていると、突然脇から学ランのツッパリふうの学生があらわれました。そして、S君の腕をつかむと入口横の空き地に引っ張っていきました。

S君がいつも待っていた「喧嘩の相手」です。

不良とはまったく縁遠い僕ですが、S君と並んで歩いていた関係上知らないふりもできません。仕方なく僕も一緒に行くことになりました。学ランさんは、身長はS君よりもかなり低いのですが、やはりそこは不良ですので迫力はあります。その学ランさんの話では、この辺りの高校を全部絞めるのが目的のようでした。

黙って聞いていたS君ですが、そこはやはり不良ですので、ただ黙って話を聞いていただけではありません。常に右手でリーゼントの頭を形を整えていました。その振る舞いが頭にきたのでしょうか、学ランさんは突然右足でS君の顔面めがけてケリを入れようとしました。S君は常に戦闘モードですので身体をうしろに逸らし、うまくそのケリをよけたのですが、僕が感心したのはその学ランさんの足の上がり方でした。

先ほども書きましたが、身長はそれほど高くないにもかかわらず、S君の顔面あたりまで十分に届くほど足をケリ上げていたからです。元ジャニーズの田原俊彦さんがよく足を上げるパフォーマンスをしていましたが、そのくらい上がっていました。

結局、その日はそれ以上揉めることもなく終わったのですが、不良も大変だなぁ、と実感した出来事でした。

それでは、以上現場から円山がお知らせしました。

また、来週。

君は天然色

1981年3月21日に発売された大滝詠一通算7作目のシングル。
松本隆 作詞、大瀧詠一 作曲、多羅尾伴内 編曲

毎度のことですが、この歌を知ったのも発売されてからかなり経ったあとです。というよりも「つい最近」といったほうがいいかもしれないくらい「あと」です。これも毎度のことですが、Youtubeで僕におすすめしてくれたのがきっかけとなっています。Youtubeさんの「おすすめ」ではあるのですが、ちゃんと前段があります。

なにかのときに作詞家の松本隆さんの自伝を読んでいたのですが、その中で大瀧さんのことに触れていました。70年代の音楽に「通」の人は詳しいのでしょうが、僕は「通」ではありませんでしたので、松本さんの自伝を読んで初めて大瀧さんと松本さんは「はっぴえんど」というバンドで一緒だったことを知りました。

驚いたことにこのバンドはこの二人のほかに細野晴臣さんと鈴木茂さんの4人で結成されていたそうです。僕は70年代の音楽業界で活躍していた人の自伝を好んで読むのですが、細野さんはいろいろなところに名前が登場します。イエロー・マジック・オーケストラで世界を席巻したのは有名ですが、今では音楽業界の重鎮の地位に上り詰めているあのユーミンさんの本にも登場します。ある意味細野さんがユーミンさんを引き立てたといってもいいかもしれません。もしかしたなら、戦後の歌謡曲の時代から新しい、その当時の若者の音楽の元祖なのかもしれません。

松本さんの自伝に出てきたときに内容は、大瀧さんがヒット曲が出なくなって苦しんでいたときに、背水の陣で歌詞を依頼された、というものですが、真偽のほどはわかりません。どちらにしても、大瀧さんのリズムのよいメロディーと松本さんの軽やかな歌詞が見事にマッチしています。

♪くちびるつんと尖らせてーーー

の「てーーー」と伸ばすところが心地よいですよね。

♪想い出はモノクローム 色をつけてくれーーー

♪夜明けまで長電話して 受話器持つ手がしびれたね

♪開いた雑誌を顔に乗せ
♪一人うとうと眠るのさ

このあたりの歌詞は松本さんの真骨頂ですよね。アルバムのイラストがまた秀逸で、当時の都会で暮らす華やかな若者の心象を映しているように思います。よくは知らないんですけど、イラストレーターって感じのする画ですよねぇ。田舎者の僕からしますと都会のセンスに憧れていました。

それでは、また。

ラヴ・イズ・オーヴァー( Love is over )

作詞:伊藤薫 作曲:伊藤薫
元は1979年7月1日発売の「うわさのディスコ・クィーン」のB面曲
1980年7月にA面曲として発売
1982年9月1日には、アレンジを変更した音源がA面曲として発売
歌:欧陽菲菲

 

この歌「も」、と「も」にしたのは、僕が昭和の男心を歌った楽曲を紹介することが多いからです。この歌詞はだれがなんと言おうと女性に食べさせてもらっている男性、「ヒモ」を歌っているのですが、こういう女性とつき合いたいと思っていた昭和男は多かったのではないでしょうか。

 

♪Love is over 泣くな男だろう
♪私の事は 早く忘れて

 

姉後肌が伝わってくる歌詞ですよねぇ。ということでこの歌の主人公は年上の女性なのですが、自分が甘えさせることでどんどんダメになっていく彼氏のことを想っての「別れ」です。こういう歌詞ですぐに思いつくのは、僕はなんといってもショーケンこと萩原健一さんです。あと一人挙げるとするなら火野正平さんですかね。

 

今、火野正平さんの名前を確認するためにネット検索したのですが、出てきた写真を見て驚きました。火野正平さんの若い頃って、濱田岳さんに似ていました。本当に、驚きー! いえいえ反対ですね。年齢的にいって、濱田さんが火野さんに似ているのでした。

 

そんなことはともかく、

 

♪わたしはあんたを忘れはしない
♪誰に抱かれても忘れはしない

 

おおー! これぞ愛! 本物の愛ではありませんか! でも、人間って飽きっぽい生き物だから、すぐこのときの感動を忘れるんだよなぁ…。僕には持論があるんですけど、それは「同情は長続きしない」というものです。今のウクライナに対するほかの国の態度を見ていますと実感しますが、この「同情」のほかにあてはまるのが「愛」なんですよねぇ。人間って、「愛も長続きしない」です。だから、おそらくここで男性を振った女性は、いつしか似たような男性を、またヒモにしますね、きっと。

 

あ、こんな寂しいこといっちゃぁ、いけないですかね。この歌が台無しになってしまいます。ですので、ここから先は歌詞を信じて書くことにします。

 

♪わたしはあんたの
♪お守りでいい そっと心に

 

いいですねぇぇぇ。「お守りでいい」。今のこの令和の時代にこんな男性を立てる女性がいるでしょうか。いない! 絶対、僕が暮らしている生活の中にはいない! 確かに、結婚した当初はいました。でも、今はいない!

 

それに、年をとった今、

 

♪早く出てって ふりむかないで

 

なんで言われた日にゃ、僕、路頭に迷ってしまいます。お願いだから「Love」よ、「over」しないでぇ~。

 

それでは、また。

翼の折れたエンジェル

1985年4月21日にリリース
作詞・作曲・編曲:高橋研
中村あゆみの3枚目のシングル


昭和生まれの僕としては、この歌の歌詞は「昭和」をビンビンに感じさせる内容と思っています。タイトルだけで「主人公の人となり」がわかります。そして、中村さんの風貌がまたこの歌詞にぴったりです。この歌は大ヒットしたのですが、この歌が若者の心を掴んだのは、なんと言っても中村さんの声量があったからです。パンチの利いた歌声があったからこその「翼の折れたエンジェル」です。

♪Thirteen ふたりは出会い
♪Foreteen 幼い心かたむけて

から「Fifteen」「Sixteen」「Seventeen」「Eighteen」と青春が続いていくのですが、最後が「ため息おぼえた」になっているところが、青春のホロ苦さを感じさせてくれてよいです。若いときって勘違いしていることが多いですよねぇ。

この歌の歌詞の主人公は一見すると女性のように思いますが、

♪もし 俺がヒーローだったら
♪悲しみを 近づけやしないのに…

からわかるように男性です。おそらく歌詞の主人公は、ちょっと不良で周りに敵対する心を持っていて、ちょっとばかり背伸びをしてるツッパリです。でも、本来の性根はやさしいので完全な悪にはなりきれません。作詞家の高橋さんは、そんな若者を想像しながら書いたように思います。

でも、

♪あたしも 翼の折れたエンジェル
♪みんな 翔べないエンジェル

とあるのですが、男性が「あたしも」なんて言うかなぁ…、と疑問に思う部分もあります。それにエンジェルって普通女性ですよね。もしかしたら、彼氏と彼女のかけあい系の歌詞なのかな。う~ん、疑問。

そんなことはさておいて。

青春を過ぎると、知らず知らずのうちに大人になっていきます。僕は、この歌を聴くと思い出す先輩がいます。僕が高校2年生のときに1個上の女の先輩だったのですが、髪がソバージュで上戸彩さんに似た顔立ちをしていました。身長は高くはなかったのですが、とてもかわいく魅力的で、名を「カネサカ」さんといいます。公立校とはいえ、高校生でソバージュ頭だったのですから、まじめな学生とは見られない女子高生でした。

僕は生まれつき喘息気味の体質なのですが、ごくたまに咳がとまらなくなることがあります。ある日の数学の時間にその状態になってしまいました。喘息持ちの方はおわかりでしょうが、咳はとめようとすればするほど余計にひどくなりがちです。僕は自分が苦しいのと、周りに迷惑をかけていることで、その場にいたたまれなくなりました。

僕は先生に「うがいをしに行ってきていいですか?」とお願いをしました。先生も僕があまりに苦しそうな咳をしていましたので、心配そうな表情で快諾してくれました。僕は教室を出ると、急いで水飲み場に向かいました。授業中ですので、廊下にはだれもおらず、静寂な空気が流れていました。

水飲み場に行き、幾度かうがいをすることでどうにか咳も収まっていき、気持ちも落ち着いてきました。大きく深呼吸をして教室に戻ろうと思ったのですが、校内の静けさはとても心地よいものがあります。僕は、もう少し静けさを感じていたくなり、屋上に行くことにしました。

僕のクラスは2階にありましたので、屋上に行くには3年生のクラスがある3階を過ぎる必要があります。一応先生にも許可を得ていますので、問題はないとは思いながらも、授業中に教室の外にいるのは罪悪感があります。できるだけ足音を立てずに3階を過ぎ、屋上に向かう途中の踊り場に差し掛かったところで人影が目に入ってきました。

だれかが踊り場の階段に座って僕のほうを見ていました。僕は軽く会釈をして近づいたのですが、そこに座っていたのはなんとあこがれのカネサカ先輩でした。カネサカ先輩はバスケットボール部に所属しており、僕はバレーボール部でしたので、ときたま体育館ですれ違うことはありました。ですので、僕の名前も知っていたようで、僕の名前を呼んで「どうしたの?」と笑顔で話しかけてきました。

結局、数学の授業が終わる寸前まで僕はカネサカ先輩といろいろなおしゃべりをしたのですが、僕が教室に戻ったときにちょうど授業が終わる鐘がなりました。数学の先生はとてもできた人で「〇〇君が戻ってきましたので、今日の授業は終わりにします」と落ち着いた声で話しました。

もちろん、教室は大爆笑です。

僕の青春の一ページの出来事ですが、よく考えたら、この歌を聴いて思い出しのはカネサカ先輩もそうですが、数学の先生もその一人ということになります。ちなみに、その先生はイガラシ先生といいます。

それでは、また。