心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

神田川

かぐや姫(当時のグループ名は、南こうせつかぐや姫)が歌った日本のフォークソング。1973年(昭和48年)9月20日にシングルが発売
作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ


いつも書いていますが、僕は特に歌に詳しい、いわゆる「オタク」というわけではありませんので「かぐや姫」さんについてもたくさんの歌を知っている人の部類には入りません。ですから、本当にビッグヒット曲しか知らないのですが、この歌はその僕が知っている課す少ない曲ということになります。

 

僕がこの歌を強く記憶にとどめているのは、大ヒットしたこともありますが、映画になったからです。「神田川」「妹」「赤ちょうちん」 のヒット曲がすべて映画になっていました。この3作品は、「かぐや姫の“四畳半三部作”」というらしいですが、全部観たような記憶があります。

 

僕は自分が裕福な家ではありませんでしたので、このような“四畳半三部作”というタイトルに惹かれる気持ちがありました。今回知ったのですが、「妹」と「赤ちょうちん」は日活で、「かぐや姫」だけ東宝が製作したそうです。大人の事情らしいですが、すべて日活作品だと思っていました。

 

日活と言いますと、僕の年代では「日活ロマンポルノ」というエロティックな作品が有名なのですが、その作品群の中にこの3部作もあったように記憶していました。しかし、その記憶が間違いだったことが今回判明したのですが、人間の記憶とはあてにならないものです。

 

それはともかく、「神田川」の作詞は喜多条忠さんという方なのですが、喜多条さんは当時のフォークソング、もしくはニューミュージック界ではよく耳にする作詞家でした。南こうせつさんのインタビュー記事を読んだことがありますが、この歌は喜多条さんからの電話で詞の中身を聞かされたそうですが、なんとその場ですぐにメロディーが浮かんだそうです。つまり5分くらいでできた歌なのだそうですが、音楽の才能にあふれた人らしいエピソードです。

 

吉田拓郎さんが作曲して演歌歌手の森進一さんが歌って日本レコード大賞を獲得した楽曲に「襟裳岬」という歌があります。僕がまたまた記憶違いをしていたのですが、この歌の作詞も喜多条忠さんだと思い込んでいました。

 

以前、なにかの記事で「襟裳岬」がレコード大賞の発表があった大みそかの日は、作詞をした喜多条さんはどこか山奥で「遠くの出来事として聞いていた」と読んだことがあります。しかし、今回喜多条さんについて調べたところ、なんと喜多条さんは日本作詩家協会会長やJASRAC理事作詞家といった表に立つ役職に就いていましたので、ちょっと違和感を持ちました。

 

レコード大賞受賞という華やかな舞台が嫌いで、山籠もりをしていた人が日本作詩家協会会長やJASRAC理事に就くはずがない、と思ったからです。そこで確認したところ、襟裳岬を作詞したのは喜多条さんではなく「岡本まさみ」さんという方でした。岡本さんもヒット曲を連発している作詞家で、多くの有名どころのフォークシンガーに作詞を提供していた方です。

 

実は、喜多条さんと岡本さんには共通点がありまして、それは放送作家出身ということです。あの阿久悠さんも同業出身なのですが、昔の音楽業界でステップアップをするには放送作家になるのが一番のルートだったようです。ちなみに、かの秋元康さんも放送作家出身です。

 

♪貴方はもう忘れたかしら
♪赤い手ぬぐいマフラーにして
♪二人で行った横町の風呂屋

 

この出だしを聞くだけで、青春が蘇ってきます。青春って孤独ですよね。孤独なので、恋人しか友だちがいなくなるのは当然で、二人が仲良く愛し合うのは必然です。

 

♪若かったあの頃、何も怖くなかった
♪ただ貴方のやさしさが 怖かった

 

あ~、もう青春。若いと相手を傷つけることも多々ありますし、自らを許せないことも出てきます。そうした時間を一緒に過ごすのが恋人同士と言えるのかもしれません。

あ~、青春。

 

それでは、また。

春雷

ふきのとう:13枚目のシングル。1979年2月25日にCBSソニーよりリリース
作詞・作曲:山木康世/編曲:瀬尾一三


このコーナーを最初から読んで下っている方はご存じでしょうが、このコーナーは「心に残った『歌』」と書いていますように、本来は「曲名」を紹介するコーナーです。しかし、なぜか、気分の問題だったのかもしれませんが、第2回目はなんと「曲名」ではなく「歌っている人」を紹介してしまいました。

 

それが、「ふきのとう」でした。

 

その週は結局「ふきのとう」さんというグループの紹介からはじまり、最後に「やさしさとして思い出として」という楽曲の歌詞の紹介で終了しました。ですが、「ふきのとう」さんはその歌のほかにも名曲をたくさん残しています。本日は、その中から一曲を紹介することとします。

 

「春雷」です。

 

この歌は、「ふきのとう」さんの歌にしては珍しくテンポが早いロック調と言っていいのかわかりませんが、とにかく「ふきのとう」さんの得意とするセンチメンタル調ではなく、リズム感にあふれた躍動的なメロディーが展開しています。いわゆる「ノリノリ」しやすい歌なのです。

 

学生時代お調子者だった僕は、なにかうれしいこと、もしくはワクワクすることがあるときは必ずこの歌が口から出ていました。忘れもしません。あの雀荘でのできごと…。

 

その日、僕はなかなかいい配牌に恵まれずうらぶれた人生、ちがった、、、時間を過ごしていました。実力的にさほどうまくない雀士である僕は、やはり配牌こそが命、という部分があります。その僕にいい配牌がこないのですから、勝てるはずがありません。

 

しかし、ナンチャン目かのときです。配牌をみますとなんと役満をテンパっているではありませんか! 「春雷」が頭の中を駆け巡らないはずがありません。なんどでもいいます! 配牌の段階で役満をテンパってるんです! 僕の頭の中は

 

♪春の雷に 白い花が散り
♪桜花吹雪 風に消えてゆく

のメロディーが旋回していました。なんどもなんども…。

 

先ほど書きましたが、僕はお調子者だったのですが、同じくらい小心者でもありました。つまり、緊張に弱いのですね。そんな僕が、配牌の段階でテンパっていて、動揺しないはずがありません。役満がテンパってる配牌を見た瞬間は有頂天になり「春雷」が駆け巡った僕ですが、次第に心臓がドキドキしてきてしまいました。ですが、頭の中は「春雷」です。混乱の極みでした。

 

そんな僕の様子を見ていたほかのメンバーがなにも感じないはずはありません。「春雷」が口から出てきつつも、冷や汗も出てきたのです。僕の異変を察した一人がニヤニヤしながらカマをかけてきました。

 

「ねぇマルちゃん、まさか役満テンパってないよね」

 

僕は必死に笑顔を浮かべながら

 

「そんなわけないじゃん」

 

と返事をしながら、そのあと

 

♪声なき花の姿 人は何を思うだろう

 

と口ずさんでいました。そんな状況で、僕の3回目のツモる順番が巡ってきました。僕は心の中で、心の中だけで「こい、こい」と願いながら牌を人差し指でさすりますと、残念です。なにしろテンパっているのですから僕が待っているのはたったの一種類です。すぐに結果がわかります。

 

しかし、ここで考える素振りも見せませんと、テンパっているのがバレてしまいます。僕は実力派の俳優さながら、どれを捨てようかと考える素振りをし、一応ほかの牌と交換する動きまで見せ、しかし、結局はツモッてきた牌を捨てることにしました。

 

だって、テンパっているのですから当然です。捨てようとする牌を右手に持ち、口からは

 

♪春の雷に 白い花が散り

 

と歌いながら、牌を捨てたその瞬間です。対面に座っていたイマイ君が叫びました。

 

「ロン!」

 

人生はなんと意地悪なのでしょう。

 

この歌の歌詞は、「春」とありましたので、僕の第一印象は「卒業」でした。春という季語のせいもあると思いますし、

 

♪過ぎた日を懐かしみ 肩組んで涙ぐんで
♪別れたあいつは今 寒くないだろうか

 

という歌詞からは「友情」という言葉を思い浮かべます。つまり、僕は青春の歌だと思っていました。もう少し、話を展開させると恋愛の歌と言ってもよいかも、とさえ思っていあした。しかし、今回書くにあたり調べたところ、作詞作曲した山木さんのお母様がお亡くなりになったタイミングで作ったという解説でしたので、もっと深い内容が込められているそうです。

 

そうしたことを知ってからこの歌詞を読みますと、またこれまでとは違った印象になると思った次第です。

 

それでは、また。

 

竹内まりやが作詞・作曲した楽曲。中森明菜への提供曲で、1986年発売の中森のアルバム『CRIMSON』に収録された。この中森のアルバムの中でも好評な曲であったが、翌1987年に竹内がセルフカバーしてシングルとしても発売し、これによって一般的に広く知られるようになった

 

今回調べるまで知らなかったのですが、竹内さんがリリースのは中森さんより後なのですね。驚きでした。僕はてっきり竹内さんがヒットしたあとで、中森さんがカバーしたのだと思っていました。歌にはタイミングというものがありますが、竹内さんがシングルで販売していなかったなら、これほどヒットはしなかったように思います。

 

この歌を聴いて最初に感じるのは、竹内さんがとても丁寧に歌っていることです。同じ感想を持っているのが吉田拓郎さんですが、あれだけベテランで大御所であるにもかかわらず、吉田さんはメロディーを崩すことがなく、原型に忠実にメロディーを歌っています。

 

以前、演歌歌手の吉幾三さんがこんなことを話していました。

 

吉幾三さんのヒット曲に「雪国」という歌があるのですが、どこに行ってもそれをリクエストされるので「もう、ほとほとその歌を歌うのはいやになっちゃった」。吉田さんの弟分といえる長渕剛さんは「メロディーが、最初に歌ったときと全く違っている」ことで有名ですが、やはり飽きちゃうんでしょうね。人間だもの、仕方ない面があると思い理解できなくもありません。

 

ですが、竹内さんや吉田さん、小田和正さん、竹内さんの旦那さんである山下達郎さんたちは、いつも譜面通りに歌っています。素人である僕などからしますと、最初に聴いたメロディーが気に入って好きになったのに、メロディーが変わってしまっては「違う楽曲じゃん」と思ってしまいます。ちゃんと譜面どおりに歌うかどうかは、どれだけ楽曲に誠実に向き合っているかが伝わってきますし、さらに言ってしまいますと人柄の良さを判断する目安にまでなると勝手に思っています。

 

前段はこれくらいにして、僕はこの歌の歌詞を聴いていますと、一つの映画というかストーリーが頭の中に浮かんできます。同じ感想を書いたことがあるのが、以前紹介した浜田省吾さんの「あれから二人」ですが、僕の中で「映画になる楽曲ベスト2」がこの2つです。まさに甲乙つけがたい名曲です。


♪見覚えのあ~る レインコート

 

このはじまりがなんと言っても秀逸です。このフレーズだけで聴いている人の気持ちを一気に引き寄せます。おお!物語がはじまるんだ、と感じさせます。

 

♪あなたがいなくても こうして
♪元気で暮らしていることを
♪さり気なく 告げたかったのに…

これって「悔しさ」というか「仕返し」の気持ちですよね。でも、2番では

 

♪ひとつ隣の車両に乗り
♪うつむく横顔 見ていたら
♪思わず涙 あふれてきそう

この歌詞からは、この女性「まだ未練があるんだ」とわかりますが、

 

♪今になって あなたの気持ち
♪初めてわかるの 痛いほど
♪私だけ 愛してたことも

僕の想像では、この女性は手前勝手な性格な人でしょう。だから、別れることになったんだ、と勝手に非難する気持ちになるのですが、それは、結婚しているにもかかわらず、昔の彼氏に未練を抱いているからです。なので、僕はこの女性は好きではありません。竹内さんは好きですが…。

 

竹内さんはデビューしたときはアイドル系で売り出したのですが、そうした周りの大人たちに納得できす、一度芸能活動を停止しているそうです。そうした姿勢がその後の名曲につながるのだと思いますが、自分をしっかりと持っている姿勢に感動です。なにより旦那さんを外見で選んでいないところが一番好感です。

 

この歌は、ある女性が電車に数駅乗っている時間、おそらく数十分であろう時間における心の移り変わりを描いていますが、僕はある映画を思い出しました。昔「アメリカングラフィティ」という映画があったのですが、その映画は高校を卒業する学生たちの一晩の青春を描いたものでした。当時、たった一晩の出来事を映画にしたことに、いたく感動した覚えがありますが、この歌はさらに短い数十分の間の心の中を描いたのですから、その発想も「アメリカングラフィティ」に劣らぬ素晴らしさです。

 

それにしてもこの女性、電車で見かけた元カレからデートに誘われたらついていきそうで、ちょっと心配だよなぁ…。

 

それではまた。

永遠の嘘をついてくれ

作詞・作曲 中島みゆき
編曲 瀬尾一三
発売日:1995/06/21
中島みゆきさんのアルバム曲『永遠の嘘をついてくれ』は1996年
この歌は、吉田拓郎さんから曲依頼を受け、書き下ろした曲だそうです。

この歌の裏話はこちらに書いてありますので、ご存じでない方は下記のサイトをどうぞ。
https://yumeojiko.com/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D%E3%80%8E%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E5%98%98%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%80%8F%E3%82%92%E8%80%83%E5%AF%9F/#rtoc-1


いつも書いていますように、僕がこの歌を知ったのも発売されてからかなり年月が経ったあとです。そのきっかけは、やはり中島さん作詞作曲の「ファイト!」を拓郎さんが歌った動画を見たことです。その動画に出会ったきっかけは、鉄拳さんの「マンガ動画」でした。当時、鉄拳さんのマンガ動画が感動的と評判でしたので、見たところ「なるほど、さすが!」と思ったのですが、そのときに右端でおすすめチャンネルとして拓郎さんの「ファイト!」が出ていました。

 

「ファイト!」も何回も聴きましたねぇ。中島さんは本当に天才です。まるでドラマを観ているようで心が揺さぶられます。上記のサイトで知ったのですが、「ファイト!」は中島さんがリリースしていたものを吉田さんが歌ったのに対して、この歌「永遠の嘘をついてくれ」は拓郎さんからの依頼で作った曲だそうです。

 

「ファイト!」を歌うときの拓郎さんの歌いっぷりは字余りの雰囲気からして、拓郎さんに似あっている歌という印象でした。そのイメージがありましたので、「永遠に嘘をついてくれ」も偶然そうなったのかと思っていました。ところが、今回中島さんが拓郎さん向けとして作ったことを知り、驚いたのですが、意識的にそうしたことができるなんて、やはり、中島さんは天才ですよね。

 

この歌詞を読みますと、出てくる地名は「ニューヨーク」なのですが、歌詞の展開的には、僕にはフランスっぽい印象を受けています。男女の出会いと別れを歌っているからかもしれませんが、僕にはフランスの美人女優カトリーヌ・ドヌーヴさんの顔が浮かんでくるのです。

 

それにしても本当に、拓郎さんっぽい歌をこれほど的確に作れる中島さんはすごいです。僕がよく見る動画はつま恋で共演するYouTubeなのですが、それも2つあるのですが、そのうちの「永遠の嘘をついてくれ(生放送ver)」版が最高です。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=hwgXvjdAR1k

 

最初に拓郎さんがギター一本で、歌詞の途中(2番から)から歌いだすのですが、これがなんともカッコいいのです。最近の僕は、なにかの拍子にこの「ギター一本で歌う」拓郎さんの声が頭に浮かんできます。「ギター一本」で歌ったあとに、間奏があり、その間に中島さんが登場して歌い始めるのですが、もう最高!

 

最近、拓郎さんの動向が伝わってきませんが、矢沢永吉さんや小田和正が今年はコンサートで全国を回るそうですから、是非とも拓郎さんも頑張ってほしい、と思っています。こう言っては怒る人がいるかもしれませんが、日本のフォークソング界、もしくはニューミュージック界では拓郎さんは別格だと思っています。

 

怒る人いるだろうなぁ…。

 

そもそも僕はフォーク界に詳しいわけではないのですが、アルフィーの坂崎さんなどの話やネットでいろいろな情報に接していますと、そんな印象を受けています。僕が拓郎さんを頻繁に見るようになったのは、かれこれ20年以上前になるのかなぁ、フジテレビで「LOVE LOVE あいしてる」という音楽バラエティー番組をやっていたのですが、そこに出演したときのことです。

 

この番組はジャニーズのKinKi Kidsさんが今でいうMCをやっていたのですが、そこに一緒に出演していました。そのときの、周りのスタッフの拓郎さんへの気の遣いようを見ていますと、なんか本当にすごい人なんだろうなぁ、と思った次第です。それまでも名前とその大物ぶりは知っていましたが、実際の言動を観たのはその番組が初めてでした。

 

ここで今週は終わりなのですが、今週はいつもと違うことがありました。

それは、な~んだ?

 

正解は、歌詞をひとつも書いていないことでした。 (^o^) 

そんじゃ、ねぇ。

「制服」

1982年1月にリリースされた松田聖子の8枚目のシングル「赤いスイートピー」の裏面、つまりB面です。B面にしておくのはもったいないくらい心に染みこむ歌ですね。

 

心に染みこむ最大の理由は作詞が松本隆さんで作曲がユーミンこと松任谷由実さんだからです。当時は結婚前ですので荒井由美さんだったように思いますが、「呉田軽穂」というペンネームを使ったところにユーミンさんの心意気が出ています。

 

ウイキペディアによりますと、松本隆さんが「ライバルに曲を提供してみないか」と口説いたそうですが、同時期にヒットチャートを競っていたのですから、確かにライバル関係ということになります。それでも要望を受け入れたのは作曲家としての矜持かもしれません。「ペンネームでなら」という条件つきで作曲を引き受けたのは、自分の作曲家としての実力を試したかったのかもしれません。

 

実は、僕がこの歌を知ったのはラーメン店を営んでいたときに有線放送でしょっちゅう流れていたからです。当時は一日のほとんどをお店で過ごしていましたので、僕が音楽に触れることができるのは、この有線しかありませんでした。ですから、ヒットチャートも有線で知るようになっていました。

 

ですが、有線というのは、その時期のヒットチャートというよりも息の長い歌が流れることが多かったような気がします。人間なんて自分の生活範囲などたかがしれていますから、自分の体験以外に情報に接するにはメディアに頼るしか術はありません。そのメディアが僕にとっては有線だったわけです。

 

ちょっと思い出すだけでも、ヒットした当時は知らなかったけれど、のちに有線で知った曲には、以前ここで紹介したことがあります水越恵子さんの「too far away」や長渕さんの「素顔」などがあります。有線で流れてきて、あまりに感動したのでわざわざ題名を問い合わせたこともありましたっけ。。。

 

それはともかく、「制服」も3月に入りますと必ずかかっていました。アップテンポで歌詞が卒業ですから、すぐに心に入り込んできました。

 

♪テスト前にノートを
♪貸してくれと言われて
♪ぬけがけだとみんなに
♪責められた日もあるわ
♪ただのクラスメイトなのに

 

いやぁ、青春です。こういう歌詞を書かせたら本当に松本さんは天下一品です。僕が言うまでもありませんが…。この歌詞を聴いて僕が思い出したのは浜田省吾さんの「あれから二人」という歌なのですが、その歌には

 

♪いつも 放課後 君が教科書をかかえて
♪グランドを歩く姿 遠くから見送ってた

 

という歌詞があるのですが、この歌詞が頭に浮かびました。浜田さんはメロディが魅力的ですが、実は僕は歌詞もメロディに負けないくらい天才だと思っています。あ、今回は浜田さんの回ではありませんでした。

 

ちなみに、ユーミンさんがペンネームにした「呉田軽穂」ですが、これはハリウッド女優の「グレタ・ガルボ」さんからとったそうです。僕はユーミンさんと同年代なのですが、僕の青春時代は、ちょうど米国の50年代60年代の映画がリバイバルという感じで流行っていました。僕も授業が終わったあとに名画座で「エデンの東」とか「風と共に去りぬ」とか「アメリカングラフィティ」などを観たおぼえがあります。

 

当時、僕が「世の中で一番きれいな人」は、イングリッド・バーグマンさんだと思っていたのですが、スウェーデン出身の、「切なさ」と「憂い」を帯びた表情で右に出るものはいないと強く強く思っていたものです。ユーミンさんがペンネームにした「グレタ・ガルボ」さんはバーグマンさんよりもさらに一世代前の絶世に美人だったと思いますが、僕からしますとちょっと「キツイ」人というイメージがありました。コウマンチキ系の美人が好きという人にはもってこいの美人です。

 

それはともかく、聖子さんもなんと60才を越えているそうですが、まだまだ美貌を失っていないところは、さすが全身全霊が芸能人という感じです。

 

それではまた次回。

 

ディープ・パープル

1981年3月21日発売
作詞:ちあき哲也 作曲:五十嵐浩晃
歌:五十嵐浩晃

 

五十嵐さんは「ペガサスの朝」が大ヒットして有名になったのですが、その次に出したシングルがこの「ディープ・パープル」でした。前から書いているように、僕が好きになる歌は大ヒットではなく中ヒット・小ヒットする歌がほとんどなのですが、この歌も例外ではありません。

 

「ペガサスの朝」はチョコレート会社のCMソングに使われたことで売れた、と僕は思っているのですが、僕からしますと、この歌のほうが断然よい歌です。なので大ヒットはしませんでしたが、それは世の中が悪いのであって、僕や五十嵐さんが悪いわけではありません。(^_-)-☆

 

実は、音楽業界にはある慣習というか不文律と言ってもいいように思いますが、それはある歌がヒットしたときは、そのヒットした歌と似たような傾向の歌を続けるという不文律です。「ペガサスの朝」は軽快なポップ調の歌でしたので、あと一曲または二曲くらいは同じ感じの歌を出すのが業界の慣習だったはずです。

 

今や押しも押されぬビッグバンドになっているサザンオールスターズですが、そのサザンでさえ、デビュー曲の「勝手にシンドバッド」がヒットしたあと2作目に似たような調子の「気分しだいで責めないで」を出しています。そして次の曲として、レコード会社からは同じ調子の歌をもう1曲と言われていたそうです。しかし、サザンはこれまでの歌とは違う調子の歌「いとしのエリー」を発表しました。この歌がヒットしたからこそ、一発屋で終わらなかったのだと思います。

 

このような業界の傾向がある中で、五十嵐さんが「ペガサスの朝」がヒットしたあとに、前作とは全く曲調が違う歌を発表したのが不思議な気がしないでもありません。僕的は、いい歌だと思いますが、業界の不文律に逆らうような歌を発表したのは、五十嵐さんの考えなのか、レコード会社の考えなのか気になるところです。

 

僕としては、どうしてこの歌が大ヒットしなかったのか、不思議なのですが、メロディーと作詞がピッタリと重なりあっています。実は、作詞も五十嵐さんだと思っていたのですが、ちあき哲也さんという方でした。この歌詞、本当に素敵です。ゆったりとしたメロディーと相まって光景が頭に思い浮かびます。この歌を聴いた人は、それぞれに自分なりの光景を思い浮かべている、と思っているのですが、おそらく「ちあき哲也」さんはどこかで似たような経験、光景を見たのではないでしょうか。

 

♪それは誰のせいでもなくて あなたが男で
♪きっと誰のせいでもなくて わたしが女で

 

そうですよね。男女がうまくいかなくなるときって、どっちが悪いということではなくて、それぞれが「男」であり「女」だからなのです。今はジュエンダーフリーなどと言われていますので、それを当てはめるなら

 

♪それは誰のせいでもなくて あなたがあなたで
♪それは誰のせいでもなくて あなたがわたしでなくて

 

と言い換えることもできるかもしれません。つまりは、人間は個人個人が違う個性を持っているからです。今風にいうなら、まさにダイバーシティでしょうか。結局は、自分と他人は違うということを認めることが大前提です。それを認めることで、「誰のせいでもない」とうなづくことにつながるのです。…たぶん。

 

♪どうしてむくわれないものが好き
♪つく傷はいつもひと色そしてこんな旅を

 

「むくわれないものが好き」ってとこが、僕は好きです。世の中自分の思い通りになんてなることのほうが少ないんだから、最初からそういうものが好きっていう発想がいいですよね。この歌詞を書いた「ちあき哲也」さんは、ほかにどんな歌詞を作ってるのかぁって調べたら、僕が知っているのでは少年隊の「仮面舞踏会」を作詞していました。この歌も普通とはちょっと感じが違った内容でいいです。この方のセンスのよさが伝わってきます。

 

五十嵐浩晃さんっていいますと、アフロヘアーが特徴なのですが、デビューへとつながったオーディションで一緒に合格した人として村下孝蔵さんやHOUND DOG堀江淳さんがいました。それぞれ懐かしい名前ですが、村下孝蔵さんにはここで紹介したいような歌がいくつかあるのでいつか紹介しようと思っています。

 

HOUND DOGのボーカル大友康平さんは現在では歌手というよりもバラエティーとかドラマでの俳優として活躍している姿を見かけるほうが多いですが、「ff フォルテシモ」の大ヒットで若者の心を掴んでいた頃、僕はちょうどタクシードライバーをしていました。ある日、渋谷から六本木まで乗せた30代半ばくらいの男性が「俺、HOUND DOGのマネージャーなんだ」って話していたんですけど、本当だったのかなぁ。

 

それではまた、次回。

大阪で生まれた女

BOROの2枚目のシングル。1979年8月1日発売
1979年5月1日、BOROよりも先に、萩原健一がシングルを発売
作詞作曲:岡山準三&BORO

 

僕がこの歌を最初に知ったのはショーケンさんこと萩原健一さんの歌です。BOROさんが歌っているのはそれこそインタネットが普及してYoutubeで聴いたのが最初ですので、発売されてからかなりあとということになります。

 

BOROさんや大阪の方には申し訳ないのですが、「大阪で生まれた女」はやはりショーケンさんの歌声のほうが素敵です。本来なら作った人のほうが歌の魅力を伝えられるのでしょうが、この歌に関しては作った人よりもショーケンさんのほうが心に響いてきます。言うまでもありませんが、BOROさんの歌声が悪いということでは全くありません。

 

この歌のほかに、作った人が歌うよりも違う人が歌ったほうが「いい歌だなぁ」と思うのは、大橋純子さんの「シルエットロマンス」です。この歌の作詞作曲は来生たかおさんとお姉さまの来生えつこさん(作曲がたかおさん)ですが、大橋さんの声と声量がこの歌の魅力を十分に引き出しています。もちろん来生さんが歌っても来生さんの魅力で十分素敵ですが、僕的には大橋さんが歌ったほうが心に響きます。

 

ショーケンさんは元々はグループサウンズのボーカルでしたが、ブームが去ったあとに俳優に転向しました。俳優としての素質も抜群で、太陽にほえろ!の初代新人刑事で一気に俳優としてブレイクしました。ちなみに、新人刑事の2代めは伝説の松田優作さんです。…言うまでもありませんでしたね。

 

この歌の魅力はメロディはもちろんですが、歌詞がなんともいえず心に刺さります。こんな恋愛がしたいよなぁ、って思って一人暮らしをしていました。えへへへ。基本的に僕は、暗くてわびしくて寂しい世界が好きなのですが、この歌はまさにピッタリの世界になっています。ウィキペディアによりますと、オリジナルは18番まで歌詞がある34分の曲だそうですが、30分以上となりますと、一つのドラマを見ているようですね。でも、飽きるような気がしないでもありません。(笑

 

たまたま先日ショーケンさんについて書いてある記事を目にしたのですが、きっかけはアントニオ猪木さんの闘病している姿をテレビで見かけたからです。あの闘魂の塊のような方が闘病している姿は感動物です。ミスタープロ野球の代名詞となっている長嶋茂雄さんにも当てはまるのですが、世の中にでて社会に影響力を持っている人が、自分が輝いてる姿だけではなく、言い方は悪いですが無様でみっともない姿も面前に晒そうとしている姿勢には感激します。

 

先日お亡くなりになった石原慎太郎さんもそうでしたが、強気でさっそうとしていた慎太郎さんが小幅でヨチヨチ歩く姿でマスコミの前に堂々とでる姿には感動せずにいられませんでした。石原さんは敵が多かっただけに、そうした姿は晒したくないはずだと思いますが、どんなにみっともない姿になろうとも、最後まで堂々と出続けていたのには尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。

 

猪木さんが闘病している映像に奥様が出ていたのですが、そのときたまたま妻に「猪木さんの奥さんって、昔倍賞美津子さんだったんだ」という話から、「ショーケンって、猪木さんの奥さんと不倫したんだから度胸あるよな」と話が展開し、ショーケンさんの最後の奥さんって「結婚してたのに、家庭を捨ててショーケンさんと結婚したんだ」という話になった次第です。

 

週刊誌記事によりますと、最後の奥様は若い頃からショーケンさんのファンで最後の最後に自分の恋を実らせたのですから、世間の常識からしますといろいろと物議を醸しそうですが、それはそれでいいのではないでしょうか。ショーケンさんを最後まできちんと看取ったのですから本望だったろうと思います。

 

ちなみに、ショーケンさんは若い頃からいろいろな女性と浮名を流していましたが、若い頃は年上の女性と、それから各年代のきれいで素敵な女性ばかりだったのですが、持てない男からしますと羨望的な生き方に見える人生でした。

 

それでは、また。