心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

メロディー

玉置浩二さんの10作目のシングル。1996年5月22日に発売
作詞・作曲・編曲:玉置浩二
TBS系列『筑紫哲也 NEWS23』エンディングテーマ曲

 

ここで紹介する楽曲はヒットしたときではない頃に、なにかのきっかけで知った楽曲、つまり時節外れということですが、そうした例が多いのですが、珍しくこの歌はヒットというか発売したときにいい歌と思った歌です。定かな記憶ではないのですが、筑紫哲也さんのニュース番組に使われていたからだろうと思います。

 

当時、僕は筑紫さんのニュース番組を見るのを日課にしていたのですが、筑紫さんを信頼できるジャーナリストだと思っていました。その頃はちょうど田原総一朗さんもジャーナリストとして人気を博していたと思いますが、田原さんはパフォーマンスが過ぎる印象を受けていました。

 

田原さんはテレビ朝日で「朝まで生テレビ」で人気が沸騰していましたが、その番組のウリは出場者が感情的になって言い争いをする光景でした。そうした演出を得意とする田原さんでしたので、僕は今一つ信用を置けないように思っていました。僕はパフォーマンス狙いの人をあまり好きにはなれないのです。

 

その意味で言いますと、玉置さんはパフォーマンスではなく、実力で音楽界に君臨しているように思っています。YouTube でも玉置さんの声を「神の声」などと称賛する声がありますが、本当に心の中に響き渡る歌声です。

 

ですが、僕が玉置さんで一番記憶に残っているのはNHKで出演したドラマです。実は、僕は見てはいないのですが、なにかで「とてもいいドラマ」と評されていて、僕はたったの数秒映し出された軍服姿の玉置さんしか見ていないのですが、なぜかこのときの玉置さんの姿が記憶に刻まれています。玉置さんは演技者としての評価も高かったはずですが、俳優としてではなく、歌い手として活動するほうを選んだようです。

 

それはともかく「メロディー」です。

♪あんなにも好きだった きみがいたこの町に
♪いまもま大好きな あの歌は聞こえてるよ

 

この出だしで「メロディー」が主役であることが伝わってきます。玉置さんのお師匠さんは井上陽水さんなのですが、バンド時代に井上さんの前座を務めていたそうです。二人で歌っている「夏の終わりのハーモニー」は絶品ですが、これほど歌声が合っている人はいないでしょう。

 

陽水さんといえば、ユニコーンの奥田さんとも仲がよいのですが、麻雀仲間の縁で二人でアルバムを作ったことがあったのですが、陽水さんは奥田さんのアルバムの作り方に納得できないことがあったようで、なにかのインタビューで「とことん突き詰めないだよねぇ」と陽水節で話していました。

 

陽水さんは玉置さんについて、「北海道から出てきた当時は、歌詞の作り方を知らなかった」と笑いながら話していたことがあるのですが、やはり歌詞にはプロなりの作り方があるのですね。当然といえば当然ですが、陽水さんがそのようなことを言ったのが驚きでした。

 

僕は玉置さんの歌ではこの「メロディー」も好きですが、「MR.LONELY」という歌も好きです。この歌は出だし声を発する前の前奏にギター音で「ボン、ボン、ボン」と入るのですが、その音階がとても心地よいのです。僕に音楽の才能があるならこの「ボン、ボン、ボン」を音階で説明できるのですが、悲しいことに音才がないので悔しいです。

 

歌い手の中には、元々のメロディーを崩す人がいるのですが、玉置さんは崩すことが全くなく、常に楽譜どおりのメロディーで歌っています。それを尊敬しています。歌手の方も人間ですので同じ歌ばかりを歌わされていると「飽きる」ので、ついつい崩しがちですが、玉置さんはそんなことはしません。しかも、昔と同じような声を出しています。それも尊敬に値することです。

 

♪あの頃は なにもなくて
♪それだって 楽しくやったよ

 

そうなのです。若いときは「なにもない」のが普通ですが、だからこそ純粋で楽しいのですね。プーチンさんも昔の純粋だったころを思い出して、早く侵攻をやめてほしいものです。

 

それでは、また。

 

さらば青春

1971年にリリースされた小椋佳のデビューシングル「しおさいの詩」のB面


前回「神田川」を取り上げましたが、その流れで今回は「さらば青春」です。前回「四畳半三部作」として「神田川」「赤ちょうちん」「妹」を紹介しましたが、僕の中でこの3つに共通しているのは、オールナイトで映画を観たことです。オールナイトとは、深夜から朝方までという意味で、すべての夜、すなわち「オールナイト」というわけです。

 

この歌は小椋佳さんの作詞作曲ですが、僕が小椋さんを知ったきっかけは当時若者に人気があった「俺たちの旅」というドラマでした。生きる意味を問いながら生きている大学生3人の人生模様を描いた作品でしたが、当時とても心に刺さっていました。この頃からドラマでいわゆる「三流大学の学生」を主人公にするのが流行っていたようで、「ふぞろいの林檎たち」とか「青が散る」などもみんな三流大学の学生という設定でした。

 

時系列的に正確に言いますと、「俺たちの旅」は僕が浪人をしていた時期の放映でしたので「早く大学生になりたいなぁ」とか「大学生になったら、ああいう生活を送ろう」などと考えながら見ていたことになります。ちなみに、今はどうかわかりませんが、僕は都立高校に通っていたのですが、当時都立高校に通っていた生徒は進学が当たり前で、しかも現役で合格する人は300人以上のうちわずか10名程度でした。それほど浪人するのが普通と考える時代でした。

 

実は、僕としては自分の家が裕福ではないことをわかっていましたので、漠然と進学なんかしないんだろうなぁ、と思っていたのですが、僕の親は地方から東京に出てきた人ですので、「自分の子はなんとしても、最終学歴を大卒にしたかった」ようです。僕が「進学しようとは考えてない」と父に言ったところ、「進学したほうがいい」と父が強く言ってきたのを思い出します。

 

あとから考えますと、「子どもを進学させる」というのは、地方出身の親からしてみますと、「純粋に子供ため」という理由のほかに、いろいろと複雑な背景があるのですが、それはひとまず置いておいて、僕はとにかく夕刊だけでしたが、新聞配達をしながら浪人生活を送っていた頃に見ていた「俺たちの旅」でした。

 

その番組の主題歌が小椋佳さん作詞作曲で主演の中村雅俊さんが歌ってヒットして「俺たちの旅」でした。それがきっかけで小椋さんに興味を持ち、「さらば青春」にたどり着くことになります。小椋さんに興味を持ち、いろいろな情報に接していきますと、小椋さんはなんと東大出身で当時の学生人気度抜群の日本勧業銀行(現在のみずほ銀行)に勤めていることを知りました。

 

そんなエリート銀行員が、「どうして歌手なんかやってるだんだ?」と俄然興味が深まります。すると、学生時代に寺山修司さんのファンになり、ラジオ番組の出待ちなどをして親しくなり、音楽業界に入っていくことになったようです。当時は週刊誌の明星などには「歌の本」が付録でついていたのですが、その中で小椋さんの歌を見ますと、編曲に星勝さんの名前が多いことに気がつきました。

 

そこで星さんについて調べますと、星さんはグループ・サウンズモップスのギタリスト・ボーカルだったことを知りました。それがきっかけで、僕は編曲の重要性を認識するようになりました。また、音楽業界の流れとして、一世を風靡するほどの人気を作った人は、ピークを過ぎたあとはプロデューサー行に転出することも知りました。

 

な~るほど、世の中はうまく回っているんだなぁ、っと思ったのですが、実は、今の僕は本当の音楽のセンスを持っている人は「編曲」、カタカナで言いますと「アレンジ」を手がけている人と思っています。だって、メロディーからどんな楽器を使って、もしかしたら楽器とは限らなくて、とにかく作詞作曲を際出せる伴奏とかアレンジをするには、膨大な音楽知識とセンスが必要だと思うからです。

 

話が逸れてしまいました。「さらば青春」でした。この歌で一番僕が覚えているのは、オールナイトで観ていた映画、実はタイトルは全く憶えていないのですが、青春物だったと思いますが、その映画の最後の場面でギターのコード音で

♪ジャガジャ、ジャッジャジャ~ン
♪ジャガジャ、ジャッジャジャ~ン

さらば青春の前奏なのですが、これがかかった瞬間に映画館にいた若者全員が

「オー! オー!」とお叫びをあげていました。それから大きな拍手が鳴りやまず、みんなしてスクリーンに向かって拳を突き上げていたのでした。

 

あー、これが青春、、、と思った瞬間でした。

 

イヤー、おそまつ。今週はこれにて失礼。

 

それでは、またまた。

 

神田川

かぐや姫(当時のグループ名は、南こうせつかぐや姫)が歌った日本のフォークソング。1973年(昭和48年)9月20日にシングルが発売
作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ


いつも書いていますが、僕は特に歌に詳しい、いわゆる「オタク」というわけではありませんので「かぐや姫」さんについてもたくさんの歌を知っている人の部類には入りません。ですから、本当にビッグヒット曲しか知らないのですが、この歌はその僕が知っている課す少ない曲ということになります。

 

僕がこの歌を強く記憶にとどめているのは、大ヒットしたこともありますが、映画になったからです。「神田川」「妹」「赤ちょうちん」 のヒット曲がすべて映画になっていました。この3作品は、「かぐや姫の“四畳半三部作”」というらしいですが、全部観たような記憶があります。

 

僕は自分が裕福な家ではありませんでしたので、このような“四畳半三部作”というタイトルに惹かれる気持ちがありました。今回知ったのですが、「妹」と「赤ちょうちん」は日活で、「かぐや姫」だけ東宝が製作したそうです。大人の事情らしいですが、すべて日活作品だと思っていました。

 

日活と言いますと、僕の年代では「日活ロマンポルノ」というエロティックな作品が有名なのですが、その作品群の中にこの3部作もあったように記憶していました。しかし、その記憶が間違いだったことが今回判明したのですが、人間の記憶とはあてにならないものです。

 

それはともかく、「神田川」の作詞は喜多条忠さんという方なのですが、喜多条さんは当時のフォークソング、もしくはニューミュージック界ではよく耳にする作詞家でした。南こうせつさんのインタビュー記事を読んだことがありますが、この歌は喜多条さんからの電話で詞の中身を聞かされたそうですが、なんとその場ですぐにメロディーが浮かんだそうです。つまり5分くらいでできた歌なのだそうですが、音楽の才能にあふれた人らしいエピソードです。

 

吉田拓郎さんが作曲して演歌歌手の森進一さんが歌って日本レコード大賞を獲得した楽曲に「襟裳岬」という歌があります。僕がまたまた記憶違いをしていたのですが、この歌の作詞も喜多条忠さんだと思い込んでいました。

 

以前、なにかの記事で「襟裳岬」がレコード大賞の発表があった大みそかの日は、作詞をした喜多条さんはどこか山奥で「遠くの出来事として聞いていた」と読んだことがあります。しかし、今回喜多条さんについて調べたところ、なんと喜多条さんは日本作詩家協会会長やJASRAC理事作詞家といった表に立つ役職に就いていましたので、ちょっと違和感を持ちました。

 

レコード大賞受賞という華やかな舞台が嫌いで、山籠もりをしていた人が日本作詩家協会会長やJASRAC理事に就くはずがない、と思ったからです。そこで確認したところ、襟裳岬を作詞したのは喜多条さんではなく「岡本まさみ」さんという方でした。岡本さんもヒット曲を連発している作詞家で、多くの有名どころのフォークシンガーに作詞を提供していた方です。

 

実は、喜多条さんと岡本さんには共通点がありまして、それは放送作家出身ということです。あの阿久悠さんも同業出身なのですが、昔の音楽業界でステップアップをするには放送作家になるのが一番のルートだったようです。ちなみに、かの秋元康さんも放送作家出身です。

 

♪貴方はもう忘れたかしら
♪赤い手ぬぐいマフラーにして
♪二人で行った横町の風呂屋

 

この出だしを聞くだけで、青春が蘇ってきます。青春って孤独ですよね。孤独なので、恋人しか友だちがいなくなるのは当然で、二人が仲良く愛し合うのは必然です。

 

♪若かったあの頃、何も怖くなかった
♪ただ貴方のやさしさが 怖かった

 

あ~、もう青春。若いと相手を傷つけることも多々ありますし、自らを許せないことも出てきます。そうした時間を一緒に過ごすのが恋人同士と言えるのかもしれません。

あ~、青春。

 

それでは、また。

春雷

ふきのとう:13枚目のシングル。1979年2月25日にCBSソニーよりリリース
作詞・作曲:山木康世/編曲:瀬尾一三


このコーナーを最初から読んで下っている方はご存じでしょうが、このコーナーは「心に残った『歌』」と書いていますように、本来は「曲名」を紹介するコーナーです。しかし、なぜか、気分の問題だったのかもしれませんが、第2回目はなんと「曲名」ではなく「歌っている人」を紹介してしまいました。

 

それが、「ふきのとう」でした。

 

その週は結局「ふきのとう」さんというグループの紹介からはじまり、最後に「やさしさとして思い出として」という楽曲の歌詞の紹介で終了しました。ですが、「ふきのとう」さんはその歌のほかにも名曲をたくさん残しています。本日は、その中から一曲を紹介することとします。

 

「春雷」です。

 

この歌は、「ふきのとう」さんの歌にしては珍しくテンポが早いロック調と言っていいのかわかりませんが、とにかく「ふきのとう」さんの得意とするセンチメンタル調ではなく、リズム感にあふれた躍動的なメロディーが展開しています。いわゆる「ノリノリ」しやすい歌なのです。

 

学生時代お調子者だった僕は、なにかうれしいこと、もしくはワクワクすることがあるときは必ずこの歌が口から出ていました。忘れもしません。あの雀荘でのできごと…。

 

その日、僕はなかなかいい配牌に恵まれずうらぶれた人生、ちがった、、、時間を過ごしていました。実力的にさほどうまくない雀士である僕は、やはり配牌こそが命、という部分があります。その僕にいい配牌がこないのですから、勝てるはずがありません。

 

しかし、ナンチャン目かのときです。配牌をみますとなんと役満をテンパっているではありませんか! 「春雷」が頭の中を駆け巡らないはずがありません。なんどでもいいます! 配牌の段階で役満をテンパってるんです! 僕の頭の中は

 

♪春の雷に 白い花が散り
♪桜花吹雪 風に消えてゆく

のメロディーが旋回していました。なんどもなんども…。

 

先ほど書きましたが、僕はお調子者だったのですが、同じくらい小心者でもありました。つまり、緊張に弱いのですね。そんな僕が、配牌の段階でテンパっていて、動揺しないはずがありません。役満がテンパってる配牌を見た瞬間は有頂天になり「春雷」が駆け巡った僕ですが、次第に心臓がドキドキしてきてしまいました。ですが、頭の中は「春雷」です。混乱の極みでした。

 

そんな僕の様子を見ていたほかのメンバーがなにも感じないはずはありません。「春雷」が口から出てきつつも、冷や汗も出てきたのです。僕の異変を察した一人がニヤニヤしながらカマをかけてきました。

 

「ねぇマルちゃん、まさか役満テンパってないよね」

 

僕は必死に笑顔を浮かべながら

 

「そんなわけないじゃん」

 

と返事をしながら、そのあと

 

♪声なき花の姿 人は何を思うだろう

 

と口ずさんでいました。そんな状況で、僕の3回目のツモる順番が巡ってきました。僕は心の中で、心の中だけで「こい、こい」と願いながら牌を人差し指でさすりますと、残念です。なにしろテンパっているのですから僕が待っているのはたったの一種類です。すぐに結果がわかります。

 

しかし、ここで考える素振りも見せませんと、テンパっているのがバレてしまいます。僕は実力派の俳優さながら、どれを捨てようかと考える素振りをし、一応ほかの牌と交換する動きまで見せ、しかし、結局はツモッてきた牌を捨てることにしました。

 

だって、テンパっているのですから当然です。捨てようとする牌を右手に持ち、口からは

 

♪春の雷に 白い花が散り

 

と歌いながら、牌を捨てたその瞬間です。対面に座っていたイマイ君が叫びました。

 

「ロン!」

 

人生はなんと意地悪なのでしょう。

 

この歌の歌詞は、「春」とありましたので、僕の第一印象は「卒業」でした。春という季語のせいもあると思いますし、

 

♪過ぎた日を懐かしみ 肩組んで涙ぐんで
♪別れたあいつは今 寒くないだろうか

 

という歌詞からは「友情」という言葉を思い浮かべます。つまり、僕は青春の歌だと思っていました。もう少し、話を展開させると恋愛の歌と言ってもよいかも、とさえ思っていあした。しかし、今回書くにあたり調べたところ、作詞作曲した山木さんのお母様がお亡くなりになったタイミングで作ったという解説でしたので、もっと深い内容が込められているそうです。

 

そうしたことを知ってからこの歌詞を読みますと、またこれまでとは違った印象になると思った次第です。

 

それでは、また。

 

竹内まりやが作詞・作曲した楽曲。中森明菜への提供曲で、1986年発売の中森のアルバム『CRIMSON』に収録された。この中森のアルバムの中でも好評な曲であったが、翌1987年に竹内がセルフカバーしてシングルとしても発売し、これによって一般的に広く知られるようになった

 

今回調べるまで知らなかったのですが、竹内さんがリリースのは中森さんより後なのですね。驚きでした。僕はてっきり竹内さんがヒットしたあとで、中森さんがカバーしたのだと思っていました。歌にはタイミングというものがありますが、竹内さんがシングルで販売していなかったなら、これほどヒットはしなかったように思います。

 

この歌を聴いて最初に感じるのは、竹内さんがとても丁寧に歌っていることです。同じ感想を持っているのが吉田拓郎さんですが、あれだけベテランで大御所であるにもかかわらず、吉田さんはメロディーを崩すことがなく、原型に忠実にメロディーを歌っています。

 

以前、演歌歌手の吉幾三さんがこんなことを話していました。

 

吉幾三さんのヒット曲に「雪国」という歌があるのですが、どこに行ってもそれをリクエストされるので「もう、ほとほとその歌を歌うのはいやになっちゃった」。吉田さんの弟分といえる長渕剛さんは「メロディーが、最初に歌ったときと全く違っている」ことで有名ですが、やはり飽きちゃうんでしょうね。人間だもの、仕方ない面があると思い理解できなくもありません。

 

ですが、竹内さんや吉田さん、小田和正さん、竹内さんの旦那さんである山下達郎さんたちは、いつも譜面通りに歌っています。素人である僕などからしますと、最初に聴いたメロディーが気に入って好きになったのに、メロディーが変わってしまっては「違う楽曲じゃん」と思ってしまいます。ちゃんと譜面どおりに歌うかどうかは、どれだけ楽曲に誠実に向き合っているかが伝わってきますし、さらに言ってしまいますと人柄の良さを判断する目安にまでなると勝手に思っています。

 

前段はこれくらいにして、僕はこの歌の歌詞を聴いていますと、一つの映画というかストーリーが頭の中に浮かんできます。同じ感想を書いたことがあるのが、以前紹介した浜田省吾さんの「あれから二人」ですが、僕の中で「映画になる楽曲ベスト2」がこの2つです。まさに甲乙つけがたい名曲です。


♪見覚えのあ~る レインコート

 

このはじまりがなんと言っても秀逸です。このフレーズだけで聴いている人の気持ちを一気に引き寄せます。おお!物語がはじまるんだ、と感じさせます。

 

♪あなたがいなくても こうして
♪元気で暮らしていることを
♪さり気なく 告げたかったのに…

これって「悔しさ」というか「仕返し」の気持ちですよね。でも、2番では

 

♪ひとつ隣の車両に乗り
♪うつむく横顔 見ていたら
♪思わず涙 あふれてきそう

この歌詞からは、この女性「まだ未練があるんだ」とわかりますが、

 

♪今になって あなたの気持ち
♪初めてわかるの 痛いほど
♪私だけ 愛してたことも

僕の想像では、この女性は手前勝手な性格な人でしょう。だから、別れることになったんだ、と勝手に非難する気持ちになるのですが、それは、結婚しているにもかかわらず、昔の彼氏に未練を抱いているからです。なので、僕はこの女性は好きではありません。竹内さんは好きですが…。

 

竹内さんはデビューしたときはアイドル系で売り出したのですが、そうした周りの大人たちに納得できす、一度芸能活動を停止しているそうです。そうした姿勢がその後の名曲につながるのだと思いますが、自分をしっかりと持っている姿勢に感動です。なにより旦那さんを外見で選んでいないところが一番好感です。

 

この歌は、ある女性が電車に数駅乗っている時間、おそらく数十分であろう時間における心の移り変わりを描いていますが、僕はある映画を思い出しました。昔「アメリカングラフィティ」という映画があったのですが、その映画は高校を卒業する学生たちの一晩の青春を描いたものでした。当時、たった一晩の出来事を映画にしたことに、いたく感動した覚えがありますが、この歌はさらに短い数十分の間の心の中を描いたのですから、その発想も「アメリカングラフィティ」に劣らぬ素晴らしさです。

 

それにしてもこの女性、電車で見かけた元カレからデートに誘われたらついていきそうで、ちょっと心配だよなぁ…。

 

それではまた。

永遠の嘘をついてくれ

作詞・作曲 中島みゆき
編曲 瀬尾一三
発売日:1995/06/21
中島みゆきさんのアルバム曲『永遠の嘘をついてくれ』は1996年
この歌は、吉田拓郎さんから曲依頼を受け、書き下ろした曲だそうです。

この歌の裏話はこちらに書いてありますので、ご存じでない方は下記のサイトをどうぞ。
https://yumeojiko.com/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D%E3%80%8E%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE%E5%98%98%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8C%E3%80%8F%E3%82%92%E8%80%83%E5%AF%9F/#rtoc-1


いつも書いていますように、僕がこの歌を知ったのも発売されてからかなり年月が経ったあとです。そのきっかけは、やはり中島さん作詞作曲の「ファイト!」を拓郎さんが歌った動画を見たことです。その動画に出会ったきっかけは、鉄拳さんの「マンガ動画」でした。当時、鉄拳さんのマンガ動画が感動的と評判でしたので、見たところ「なるほど、さすが!」と思ったのですが、そのときに右端でおすすめチャンネルとして拓郎さんの「ファイト!」が出ていました。

 

「ファイト!」も何回も聴きましたねぇ。中島さんは本当に天才です。まるでドラマを観ているようで心が揺さぶられます。上記のサイトで知ったのですが、「ファイト!」は中島さんがリリースしていたものを吉田さんが歌ったのに対して、この歌「永遠の嘘をついてくれ」は拓郎さんからの依頼で作った曲だそうです。

 

「ファイト!」を歌うときの拓郎さんの歌いっぷりは字余りの雰囲気からして、拓郎さんに似あっている歌という印象でした。そのイメージがありましたので、「永遠に嘘をついてくれ」も偶然そうなったのかと思っていました。ところが、今回中島さんが拓郎さん向けとして作ったことを知り、驚いたのですが、意識的にそうしたことができるなんて、やはり、中島さんは天才ですよね。

 

この歌詞を読みますと、出てくる地名は「ニューヨーク」なのですが、歌詞の展開的には、僕にはフランスっぽい印象を受けています。男女の出会いと別れを歌っているからかもしれませんが、僕にはフランスの美人女優カトリーヌ・ドヌーヴさんの顔が浮かんでくるのです。

 

それにしても本当に、拓郎さんっぽい歌をこれほど的確に作れる中島さんはすごいです。僕がよく見る動画はつま恋で共演するYouTubeなのですが、それも2つあるのですが、そのうちの「永遠の嘘をついてくれ(生放送ver)」版が最高です。

こちら → https://www.youtube.com/watch?v=hwgXvjdAR1k

 

最初に拓郎さんがギター一本で、歌詞の途中(2番から)から歌いだすのですが、これがなんともカッコいいのです。最近の僕は、なにかの拍子にこの「ギター一本で歌う」拓郎さんの声が頭に浮かんできます。「ギター一本」で歌ったあとに、間奏があり、その間に中島さんが登場して歌い始めるのですが、もう最高!

 

最近、拓郎さんの動向が伝わってきませんが、矢沢永吉さんや小田和正が今年はコンサートで全国を回るそうですから、是非とも拓郎さんも頑張ってほしい、と思っています。こう言っては怒る人がいるかもしれませんが、日本のフォークソング界、もしくはニューミュージック界では拓郎さんは別格だと思っています。

 

怒る人いるだろうなぁ…。

 

そもそも僕はフォーク界に詳しいわけではないのですが、アルフィーの坂崎さんなどの話やネットでいろいろな情報に接していますと、そんな印象を受けています。僕が拓郎さんを頻繁に見るようになったのは、かれこれ20年以上前になるのかなぁ、フジテレビで「LOVE LOVE あいしてる」という音楽バラエティー番組をやっていたのですが、そこに出演したときのことです。

 

この番組はジャニーズのKinKi Kidsさんが今でいうMCをやっていたのですが、そこに一緒に出演していました。そのときの、周りのスタッフの拓郎さんへの気の遣いようを見ていますと、なんか本当にすごい人なんだろうなぁ、と思った次第です。それまでも名前とその大物ぶりは知っていましたが、実際の言動を観たのはその番組が初めてでした。

 

ここで今週は終わりなのですが、今週はいつもと違うことがありました。

それは、な~んだ?

 

正解は、歌詞をひとつも書いていないことでした。 (^o^) 

そんじゃ、ねぇ。

「制服」

1982年1月にリリースされた松田聖子の8枚目のシングル「赤いスイートピー」の裏面、つまりB面です。B面にしておくのはもったいないくらい心に染みこむ歌ですね。

 

心に染みこむ最大の理由は作詞が松本隆さんで作曲がユーミンこと松任谷由実さんだからです。当時は結婚前ですので荒井由美さんだったように思いますが、「呉田軽穂」というペンネームを使ったところにユーミンさんの心意気が出ています。

 

ウイキペディアによりますと、松本隆さんが「ライバルに曲を提供してみないか」と口説いたそうですが、同時期にヒットチャートを競っていたのですから、確かにライバル関係ということになります。それでも要望を受け入れたのは作曲家としての矜持かもしれません。「ペンネームでなら」という条件つきで作曲を引き受けたのは、自分の作曲家としての実力を試したかったのかもしれません。

 

実は、僕がこの歌を知ったのはラーメン店を営んでいたときに有線放送でしょっちゅう流れていたからです。当時は一日のほとんどをお店で過ごしていましたので、僕が音楽に触れることができるのは、この有線しかありませんでした。ですから、ヒットチャートも有線で知るようになっていました。

 

ですが、有線というのは、その時期のヒットチャートというよりも息の長い歌が流れることが多かったような気がします。人間なんて自分の生活範囲などたかがしれていますから、自分の体験以外に情報に接するにはメディアに頼るしか術はありません。そのメディアが僕にとっては有線だったわけです。

 

ちょっと思い出すだけでも、ヒットした当時は知らなかったけれど、のちに有線で知った曲には、以前ここで紹介したことがあります水越恵子さんの「too far away」や長渕さんの「素顔」などがあります。有線で流れてきて、あまりに感動したのでわざわざ題名を問い合わせたこともありましたっけ。。。

 

それはともかく、「制服」も3月に入りますと必ずかかっていました。アップテンポで歌詞が卒業ですから、すぐに心に入り込んできました。

 

♪テスト前にノートを
♪貸してくれと言われて
♪ぬけがけだとみんなに
♪責められた日もあるわ
♪ただのクラスメイトなのに

 

いやぁ、青春です。こういう歌詞を書かせたら本当に松本さんは天下一品です。僕が言うまでもありませんが…。この歌詞を聴いて僕が思い出したのは浜田省吾さんの「あれから二人」という歌なのですが、その歌には

 

♪いつも 放課後 君が教科書をかかえて
♪グランドを歩く姿 遠くから見送ってた

 

という歌詞があるのですが、この歌詞が頭に浮かびました。浜田さんはメロディが魅力的ですが、実は僕は歌詞もメロディに負けないくらい天才だと思っています。あ、今回は浜田さんの回ではありませんでした。

 

ちなみに、ユーミンさんがペンネームにした「呉田軽穂」ですが、これはハリウッド女優の「グレタ・ガルボ」さんからとったそうです。僕はユーミンさんと同年代なのですが、僕の青春時代は、ちょうど米国の50年代60年代の映画がリバイバルという感じで流行っていました。僕も授業が終わったあとに名画座で「エデンの東」とか「風と共に去りぬ」とか「アメリカングラフィティ」などを観たおぼえがあります。

 

当時、僕が「世の中で一番きれいな人」は、イングリッド・バーグマンさんだと思っていたのですが、スウェーデン出身の、「切なさ」と「憂い」を帯びた表情で右に出るものはいないと強く強く思っていたものです。ユーミンさんがペンネームにした「グレタ・ガルボ」さんはバーグマンさんよりもさらに一世代前の絶世に美人だったと思いますが、僕からしますとちょっと「キツイ」人というイメージがありました。コウマンチキ系の美人が好きという人にはもってこいの美人です。

 

それはともかく、聖子さんもなんと60才を越えているそうですが、まだまだ美貌を失っていないところは、さすが全身全霊が芸能人という感じです。

 

それではまた次回。