心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

ホームにて

1977年6月25日に発表された、中島みゆきの3作目のオリジナルアルバムに収録。
後にシングル「わかれうた」のB面としてシングルカット


中島みゆきさんの歌を紹介するのは3曲目ですが、この歌を知ったのも発表されてからかなり時間が過ぎてからです。これまでも「知ったのはずっとあと」という曲がたくさんありましたが、そのほとんどはラーメン店時代の有線放送だったように思います。しかし、最近の自分を思い返してみますと、だいたいがネット、つまりほぼすべてが「YouTube」からです。

 

ネットの弊害としてよく指摘されるのが、「自分の興味のある情報にしか接することができない」ということがあります。確かに、僕の性格や好きな傾向をネットさんは把握しているはずですが、僕の感じとしては、巷間いわれているほど偏っていないように思っています。なぜなら、僕の好きな傾向とはいってもその範囲がかなり広いからです。

 

僕が「ホームにて」に出会ったのも、YouTubeさんが僕の好きそうな歌として「おすすめ」してくれたからです。僕は「おすすめ」されるまでこの歌を全く知らなかったのですが、よくぞ「おすすめ」してくれたと感謝しています。

 

実は、作詞作曲、歌とも中島みゆきさんと書いていますが、僕に「おすすめ」してくれたときの歌は、中島さんが歌っている楽曲ではなく、高畑充希さんが歌っている楽曲でした。前に「366日」という歌を紹介したことがありますが、その歌も本来リリースした「HY」さんではなく、上白石萌歌さんがCMのメーキングビデオで歌っているものでした。「366日」を紹介したときのコラムにも書きましたが、僕は妻に言われるまで「HY」さんの歌とは知らなかったほどです。それほど上白石萌歌さんにぴったりはまっていた歌でした。

 

同じように、「ホームにて」の高畑さんも素晴らしかったのです。なにげなく「おすすめ」をクリックしてそのまま歌声とメロディーの魅力に引き込まれました。繰り返しになりますが、中島さんの歌とは全く知らずに好きになっていました。そもそも僕はそれほど歌にマニアックに入り込む体質ではありませんので、ヒットした曲しか知らない人間と言っても過言ではありません。ですので、この歌のように、中島さんの大ファンなら誰でも知っているであろう歌でも、僕は知らないことが多々あります。この歌はまさにその一曲でした。

 

僕が、ある歌を好きになるとき、メロディーから入ることが多いのですが、そのとき歌詞は「なんとなく」覚えている感じでいます。理由はわからないのですが、歌詞を完全に正確に覚えてしまうと「飽きて」しまうのです。しかし、うろ覚えのままでいる間は絶対に「飽きる」ことはありません。

 

「ホームにて」もなんとなく、ところどころを口ずさむ感じでずっといたのですが、先日なにげに歌詞を最初から最後まで丁寧に読んでみました。そのとき初めて真剣に歌詞に向かい合ったのですが、この歌は田舎から出てきた人が(夢破れて?)田舎に帰るときの心情をつづった内容であるように思いました。そして、その中で気になった一節がありました。

 

♪かざり荷物を ふり捨てて

 

という部分なのですが、「かざり荷物」ってなんだろ? と疑問に思い、調べますと、なんと中島さんの創作した言葉ではあ~りませんか! これまでなかった言葉を作り出したのですからこれほどすごいことはありません。しかも、伝えたい思いが心の中に染みこんできます。

 

「かざり」という言葉で、「上っ面」とか「表面的」という軽っちょいマイナスなイメージが湧きますし、そのうえ「荷物」ですから、「背負った」とか「しょい込んだ」という決して明るい状況ではないことも伝わってきます。歌詞の主人公は集団就職かなにかで上京してきて、ある程度の年月を過ごしたのちに地元に戻ることを決断した方なのでしょう。

 

ちなみに、「軽っちょい」は僕の造語です。(~_~;)

 

僕が最初に社会人になった企業はスーパーでした。当時、スーパー業界はどこも高卒の女子を大量に必要としていました。ですので、北は北海道・青森など東北地方から、南は沖縄から大量に採用する方式が一般的でした。働く側からしますと、集団就職ということになります。

 

若い女の子が地方から東京に出てきますと、やはり誰でも都会での生活でそれなりに楽しい時間を過ごします。地方とは華やかさが違いますから刺激的でとても満足した暮らしをするものです。そんな中である人は結婚相手を見つけ定住するのですが、いい人が見つからず都会の生活にも疲れたある人は、この歌詞のように地元に帰る選択をすることになります。

 

そうした人たちを間近に見ていましたので、僕はこの歌詞に共感するものがあります。人生、本当にいろいろです。

 

♪ふるさとへ 向かう最終に

♪やさしい やさしい声の 駅長が

 

ここでわざわざ「やさしい」を2回繰り返していることで、そのときの主人公の気持ちが伝わってきます。主人公は、やさしい人を求めたくなるほど、心が傷ついているのです。

 

♪ネオンライトでは 燃やせない
♪ふるさと行きの乗車券

 

上京した人にしかわからない気持ちですよねぇ。

 

それでは、また。

 

追伸:
この歌詞を読んでいましたら、思い出した光景がありましので、書いちゃお…。

 

僕が就職して2年目、異動して2店目の店舗にいたときのことです。ある日、高校生くらいの女の子がレジ係として入ってきました。言葉のイントネーションからしますと東北地方の雰囲気がします。普通、高卒で入社してくるのは4月と決まっています。しかし、その子が入ってきたのは6月で、しかも正社員ではなくアルバイトという立場で入ってきました。

 

体格的にはそれほど大きくもなく、身長もごく普通の女子くらいでした。そうした外見からしますと、一般的には弱弱しい雰囲気がしないでもありませんが、その女の子は不思議と、ふてぶてしいというのはないのですが、なんていいますか、デンと腹が据わっている感じがする女の子でした。とても17才の女の子とは思えない風格のようなものまで漂わせていました。

 

仕事はいわゆるレジですので普段はレジの前に立っているのが仕事です。僕が担当していた部門は衣料品を扱っているフロアでしたので、食品フロアと違いそれほど混むということがありません。ですので、お客様がいないときは手持ちぶたさになることもあります。

 

少しずつ仕事にも慣れてきて1ヵ月を過ぎた頃から、その子は営業時間が始まる前とか営業時間中でも暇なときに、僕の近くに来て話しかけてくるようになっていました。いわゆる世間話というやつです。その子が従事しているレジ係は周りがパートさんですので年齢的には30才~40才くらい離れています。僕は20代前半でしたので、そうしたことも一因だと思いますが、その子は僕にいろいろな話をするようになっていました。

 

その子の話では、年齢は17才、ですから本来ならまだ高校生ということになります。青森県から上京してきたということでしたが、言葉のイントネーション、きつい表現をするなら訛りがあったのは青森出身だったからでした。高校生の年齢で上京してくる、ということはつまりは高校を中退してきたことになります。

 

そうした話を聞いていますと、その女の子の度胸に驚かされます。17才という年齢で高校を中退して上京してきたのです。それまで東京で親元でのほほんと暮らし生きてきた僕からしますと、その勇気に尊敬の念を抱いてしまいます。

 

そんなある日、仕事中にレジから少し離れたところで、その女の子が同じ年齢くらいの男の子と話していました。遠目に見ていますと、真面目な話をしているようで、笑顔になることは一度もなく、真剣な面持ちでたまにお互いの眼差しを推し量るように向き合っていました。しばらく話し込んだあと、その男の子は帰っていきました。

 

翌日、その女の子が話しかけてきました。

 

「昨日の、見てたでしょ。あの子田舎の友だちなんだ。東京に出てきたんだって。私を追って…」

 

驚いてその子を見ますと、その子はうつむいていました。

 

その女の子は、その後も時間のあるときに世間話をしに来ていましたが、2週間ほど過ぎた頃、突然退職してしまいました。

 

ホームにて。

 

あの子はいったい、どうしているでしょう。

 

追伸:おわり。

 

ハナミズキ

2004年2月11日
一青窈さんの5枚目のシングル
作詞:一青窈、作曲:マシコタツロウ


いつ知ったのかは、全く記憶にないのですが、メロディーが気に入ったのと

 

♪百年続きますように

 

という歌詞に惹かれて好きになったように思います。僕の中でいっちばん頭に残っているのは、「めざましテレビ」に出演し、生で歌ったとき、当時メインキャスターを務めていた高島彩さんが涙を流していたことです。生で聴いた歌声に感動したのだと思いますが、聴いている人に涙を流させる歌力って凄いなぁと思いました。簡単に言いますと、感動させたことですから。

 

でも、高島さんの夫君は「ゆず」の北川悠仁さんですが、毎日「栄光の架け橋」を聴いているのかしら…。そんなことは別にして、一青窈さんはこの歌がヒットしてから、その経歴が報じられることが多かったのですが、一青窈さんは「スクールメイツ」という若い女の子が歌手の方の後ろで踊るグループに所属していたことがあるそうです。

 

僕の年齢でスクールメイツと聞きますと、昔の歌番組では必ず見かけていた記憶があります。芸能界を目指す若い女の子たちの登竜門というわけではないですが、おそらくきっかけ、入り口、、、そんな感じのグループだったように思います。

 

当時は渡辺プロダクション、通称「ナベプロ」の全盛時代でしたが、そのナベプロが運営するグループだったように思います。当時、売れ出した若手タレントが「スクールメイツ出身」という話はそこかしこで聞いていました。「木綿のハンカチーフ」の太田裕美さんもスクールメイツ出身ということで有名でした。当時の芸能界はナベプロが牛耳っていたといっても過言ではないくらい、大きな力を持っていました。

 

そんなことはともかく、一青窈さんです。当時、週刊誌で報じられていたのは一青窈さんの略奪愛だったのですが、お相手は「My Little Lover」やミスチルのプロデューサーとして活躍していた小林武史さんです。略奪愛とは穏やかならぬ恋ですが、「ハナミズキ」の歌詞

 

♪君と好きな人が 百年続きますように

 

とはあまりに相容れない現実に、複雑な気持ちになったことを覚えています。略奪愛かどうかの実際のところはわかりませんが、「自分が好きになってしまった男性に、奥様がいた」という現実を受け止めるのにかなり苦しんだのではないでしょうか。勝手な想像ですが…。

 

結局、小林さんとは結婚せず、ほかの方と結婚して現在はお子さんが3人いるそうです。今の状況を思いますと、小林さんと結婚しなくてよかったのはないか、と勝手に結論を出しています。(^_^;) 

 

若いときって、勘違いすること、ありますよねぇ。

 

えっ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼく?

 

それでは、また。

336日

HY
5枚目のアルバム「HeartY」収録(2008年4月16日発売)。叶わぬ思いの苦しさを歌ったラブバラード。「366日」というタイトルは、好きで好きでたまらなくて「365日」じゃ足りないくらいの思いからつけられた。映画×連続ドラマ「赤い糸」の主題歌となった大ヒット名曲。


毎度のことですが、僕が知ったのは昨年です。たまたまYouTube上白石萌音さんが飲料水のCMを作っている動画を見て、好きになりました。実は、そのあともずっと上白石さんの歌だと思っていたのですが、妻にHYさんのことを教えてもらい、真実をしりました。

 

でも、最初のうちはHYさんよりも上白石さんの歌声のほう合っていると思っていたのですが、HYさんの歌声を聴いているうちに少しずつ、本家が歌っているのも好きになった次第です。

 

この歌は歌詞が素晴らしいという声が多いのですが、理由は「別れた恋人を思い続ける切ない」気持ちが書いてあるからだそうです。ですが、僕は歌詞よりもメロディーに惹かれて好きになっています。そもそも最初は、歌詞の内容をしっかりと聴いていませんでしたので、失恋の歌ということも知らなかったというのが実際のことです。

 

調べていくうちにヒットしたきっかけを知ることができました。携帯小説をドラマ化したときの主題歌だったそうですが、当時、僕は全くそのことを知りませんでした。そういえば、携帯小説というジャンルがありましたっけ。僕が覚えているのはYoshiさんという方が「Deep Love」シリーズという小説で大ヒットを飛ばしたということです。

 

ですが「Deep Love」は2000年の登場で、「336日」が主題歌の携帯小説は2008年ですので、8年もの違いがあります。携帯小説は女子高校生の間で人気を博したそうですが、出版界からは目の敵にされていたような記憶があります。出版界という業界は意外に保守的な部分がありますので、「携帯小説のような文章は文学とは認めない」という意識があったのではないか、と推測しています。

 

僕の記憶ではYoshiさんという方が映画まで製作していたように思いますが、どちらにしても古くから存在する業界では異端児扱いだったように思います。

 

それはともかく「366日」はカバーしている人が多いのですが、それは楽曲として息が長くなることの証でもあります。失恋している人って多いと思いますので、この歌詞に引き込まれる人もおおいんだろうなぁ、と想像しています。

♪叶いもしないこの願い
♪あなたがまた私を好きになる

♪恐いくらい覚えているの
♪あなたの匂いや しぐさや 全てを

♪あなたは私の中の忘れられぬ人
♪全て捧げた人

♪今はただあなた
♪あなたの事ばかり

 

この歌詞に共感する人って多いよなぁ。だからロマンス詐欺に引っかかる人も多いだよなぁって思う僕でした。

 

やはり、正直に言いますと、HYさんよりも上白石さんのほうが好きだなぁ。

 

それでは、また。

春雨

村下孝蔵さんのデビュー2年目、2枚目のシングルとして発売
1981年1月21日にCBSソニーよりシングルが発売
作詞・作曲:村下孝蔵、編曲:水谷公生


いつも書いていることですが、この村下孝蔵さんの歌を知ったのもヒットしていたときよりずっとあとです。基本的に僕が歌を知るのはラーメン店時代に有線から流れてきたことがきっかけだと思っています。ですので、おそらく村下さんもそうして経緯で知ったのだと思います。

 

僕が村下さんの歌で知っているのは、この「春雨」と「初恋」と「踊り子」の3曲だけなのですが、これらに共通しているのはメロディーが素晴らしいことです。心の中にすんなりと入ってくるのですが、「心に残った歌」というよりも「心に残ったメロディー」といったほうが似合っているかもしれません。

 

僕が好きな3曲の中で「春雨」を選んだのは、歌を歌うことは関係のないことをしているときに、ふいにこの歌の出だしのメロディーが口に出てくることが多いからです。

 

♪心を編んだセーター

 

と始まるのですが、「毛糸」を編むのではなく「心」を編んだのですから、どれほど心がこもっているかがわかるというものです。今日の朝の番組で、ジャニーズが好きすぎてカッターナイフで脅迫してまでつきまとった女子高生が逮捕されたニュースが報じられていました。僕からしますと、そんなことをせず「心」を編んで渡したほうが思いが伝わってだろうに、と思ってしまいます。

 

「春雨」と聞いて食材を思い出す人もいるかもしれませんが、僕は「はるさめ」はあまり好きではありませんので、間違うことなく村下さんの「春雨」を思い出します。2番の歌詞は

 

♪あの人を変えた都会(まち)
♪すべて憎みたいわ

 

となっているのですが、松本隆さんが作詞をして太田裕美さんが歌った大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」を連想させる歌詞です。おそらく当時は恋人同士の片方が地方から都心に出てきてことで別れる恋人がたくさんいたのでしょう。時代を映している歌詞なのかもしれません。

 

ウィキペディアによりますと、村下さんはコンテストで優勝しながらも外見(普通の中年の顔をしています)と時代の変化(フォークが時代遅れになりつつあった)でレコード会社も売り出しに迷ったそうです。売れるまでに時間がかかったのもそうしたことが影響しているようです。いわゆる息が長い曲だったことが、村下さんの知名度を上げることにつながったようですが、好きなことを続けることの意義を感じさせる村下さんの人生軌跡です。

 

僕が村下さんの歌を3曲しか知らないのは、その後あまり見かけなくなったからですが、その理由はたまたま「春雨」を聴いていて知りました。若くして病気でお亡くなりになっていました。まだ46才という若さはあまりに早すぎます。売れることにそれほど執着していなかった村下さんですので、病気さえしなかったなら「わが道を行く」の方針で今でも活動していたのではないか、と思えるだけに残念です。

 

YouTubeでは、広瀬すずさんなど若い俳優さんを映像で使っている配信が多いのですが、「春雨」「初恋」「踊り子」とどの歌にもマッチしていますので、心が癒されます。歌声も素敵ですので、是非ともご覧いただきたく思います。

 

村下孝蔵さんメドレーです。
こちら

 

それでは、また。

揺れる想い

ZARDの8作目のシングル 1993年のシングル年間チャートで9位
歌:ZARD
作詞:坂井泉水
作曲:織田哲郎


坂井さんの作詞にはなっていますが、一部の人たちからはずっと影武者がいるという噂が絶えない歌でした。実は、僕もその噂に賛同する一人なのですが、その理由はドキュメントふうの制作風景に違和感を持ってしまうからです。

 

どうしてもドキュメントではなく、リアリティーショーに見えて仕方ありませんでした。それを一先ず置いておくなら、この歌は軽快でポップでとても素敵な歌詞でありメロディーです。

 

作曲は織田哲郎さんですが、同時期にヒットを飛ばしていた作曲家と言いますと、小室哲哉さんが思い浮かびますが、織田さんは小室さんとは少しばかり雰囲気が違っているように感じていました。どう違うか、と言いますと、小室さんほど「売れたい」「名を成したい」という欲望が強くない感じです。あくまで僕の個人的な感想ですが、あまり前面に出るのは好きではない印象も受けていました。

 

WAVDS、大黒摩季T-BOLANDEENZYYGさんたちがヒットを飛ばしていいた当時を「ビーイングブーム」というらしいですが、今でいうところのマーケッティングのうまさでヒットを連発したように思っています。坂井さんをメディアにあまり登場させない売り出し方もそうですし、CMとタイアップする手法も、それ以前もありましたが、一挙に多数のアーチストで成功させたのはやはりすごいことです。

 

僕がZARDさんに関することで記憶に残っているのは、当時僕はラーメン店を営んでいたのですが、たまに食べに来ていたOL風の女性の姿です。その女性はテーブルの上にZARDさんのCDを置き、イヤホンで聴いていました。口の動かし方からおそらく「負けないで」を歌っていたのだと思いますが、ZARDさんの全盛期を過ぎた頃でしたのでとても印象に残っています。

 

坂井さんは若くしてお亡くなりになっていますが、全盛期でもコンサートはフィルムコンサートだったそうです。ですので、今でもフィルムコンサートにファンが集っているそうですが、ビジネス的に考えますとこれほど効率のよいやり方はありません。ですが、それでもファンの方々が納得しているのであれば、それはそれでよいことだとは思います。おそらくその会場に集まる方々は、同じ感性の人たちが集まることに喜びを感じているのでしょう。そんな気がします。

 

ZARDさんの映像を見ていて僕が感心するのは、撮影をした方の感性です。清純で素朴で美人で、と坂井さんの魅力を見事に映し出しています。映像で出ることが多い坂井さんですので、本当に坂井さんの魅力を作っているのは、この撮影している方ともいえそうです。

 

♪好きと合図送る 瞳の奥
♪覗いてみる振りして キスをした
♪すべてを見せるのが 怖いから
♪やさしさから逃げてたの

 

坂井さんかどうかは別にして、まるで少女コミックに出てきそうな映像が思い浮かぶ歌詞ですが、これもすべて坂井さんという素朴な女性を作り上げるのに貢献しているのは間違いありません。

 

しかし、この歌の一番の魅力はメロディーです。織田さんの作曲なくしてこの歌の魅力はあり得ないと言っても過言ではありません。

 

それでは、また次回。

 

メロディー

玉置浩二さんの10作目のシングル。1996年5月22日に発売
作詞・作曲・編曲:玉置浩二
TBS系列『筑紫哲也 NEWS23』エンディングテーマ曲

 

ここで紹介する楽曲はヒットしたときではない頃に、なにかのきっかけで知った楽曲、つまり時節外れということですが、そうした例が多いのですが、珍しくこの歌はヒットというか発売したときにいい歌と思った歌です。定かな記憶ではないのですが、筑紫哲也さんのニュース番組に使われていたからだろうと思います。

 

当時、僕は筑紫さんのニュース番組を見るのを日課にしていたのですが、筑紫さんを信頼できるジャーナリストだと思っていました。その頃はちょうど田原総一朗さんもジャーナリストとして人気を博していたと思いますが、田原さんはパフォーマンスが過ぎる印象を受けていました。

 

田原さんはテレビ朝日で「朝まで生テレビ」で人気が沸騰していましたが、その番組のウリは出場者が感情的になって言い争いをする光景でした。そうした演出を得意とする田原さんでしたので、僕は今一つ信用を置けないように思っていました。僕はパフォーマンス狙いの人をあまり好きにはなれないのです。

 

その意味で言いますと、玉置さんはパフォーマンスではなく、実力で音楽界に君臨しているように思っています。YouTube でも玉置さんの声を「神の声」などと称賛する声がありますが、本当に心の中に響き渡る歌声です。

 

ですが、僕が玉置さんで一番記憶に残っているのはNHKで出演したドラマです。実は、僕は見てはいないのですが、なにかで「とてもいいドラマ」と評されていて、僕はたったの数秒映し出された軍服姿の玉置さんしか見ていないのですが、なぜかこのときの玉置さんの姿が記憶に刻まれています。玉置さんは演技者としての評価も高かったはずですが、俳優としてではなく、歌い手として活動するほうを選んだようです。

 

それはともかく「メロディー」です。

♪あんなにも好きだった きみがいたこの町に
♪いまもま大好きな あの歌は聞こえてるよ

 

この出だしで「メロディー」が主役であることが伝わってきます。玉置さんのお師匠さんは井上陽水さんなのですが、バンド時代に井上さんの前座を務めていたそうです。二人で歌っている「夏の終わりのハーモニー」は絶品ですが、これほど歌声が合っている人はいないでしょう。

 

陽水さんといえば、ユニコーンの奥田さんとも仲がよいのですが、麻雀仲間の縁で二人でアルバムを作ったことがあったのですが、陽水さんは奥田さんのアルバムの作り方に納得できないことがあったようで、なにかのインタビューで「とことん突き詰めないだよねぇ」と陽水節で話していました。

 

陽水さんは玉置さんについて、「北海道から出てきた当時は、歌詞の作り方を知らなかった」と笑いながら話していたことがあるのですが、やはり歌詞にはプロなりの作り方があるのですね。当然といえば当然ですが、陽水さんがそのようなことを言ったのが驚きでした。

 

僕は玉置さんの歌ではこの「メロディー」も好きですが、「MR.LONELY」という歌も好きです。この歌は出だし声を発する前の前奏にギター音で「ボン、ボン、ボン」と入るのですが、その音階がとても心地よいのです。僕に音楽の才能があるならこの「ボン、ボン、ボン」を音階で説明できるのですが、悲しいことに音才がないので悔しいです。

 

歌い手の中には、元々のメロディーを崩す人がいるのですが、玉置さんは崩すことが全くなく、常に楽譜どおりのメロディーで歌っています。それを尊敬しています。歌手の方も人間ですので同じ歌ばかりを歌わされていると「飽きる」ので、ついつい崩しがちですが、玉置さんはそんなことはしません。しかも、昔と同じような声を出しています。それも尊敬に値することです。

 

♪あの頃は なにもなくて
♪それだって 楽しくやったよ

 

そうなのです。若いときは「なにもない」のが普通ですが、だからこそ純粋で楽しいのですね。プーチンさんも昔の純粋だったころを思い出して、早く侵攻をやめてほしいものです。

 

それでは、また。

 

さらば青春

1971年にリリースされた小椋佳のデビューシングル「しおさいの詩」のB面


前回「神田川」を取り上げましたが、その流れで今回は「さらば青春」です。前回「四畳半三部作」として「神田川」「赤ちょうちん」「妹」を紹介しましたが、僕の中でこの3つに共通しているのは、オールナイトで映画を観たことです。オールナイトとは、深夜から朝方までという意味で、すべての夜、すなわち「オールナイト」というわけです。

 

この歌は小椋佳さんの作詞作曲ですが、僕が小椋さんを知ったきっかけは当時若者に人気があった「俺たちの旅」というドラマでした。生きる意味を問いながら生きている大学生3人の人生模様を描いた作品でしたが、当時とても心に刺さっていました。この頃からドラマでいわゆる「三流大学の学生」を主人公にするのが流行っていたようで、「ふぞろいの林檎たち」とか「青が散る」などもみんな三流大学の学生という設定でした。

 

時系列的に正確に言いますと、「俺たちの旅」は僕が浪人をしていた時期の放映でしたので「早く大学生になりたいなぁ」とか「大学生になったら、ああいう生活を送ろう」などと考えながら見ていたことになります。ちなみに、今はどうかわかりませんが、僕は都立高校に通っていたのですが、当時都立高校に通っていた生徒は進学が当たり前で、しかも現役で合格する人は300人以上のうちわずか10名程度でした。それほど浪人するのが普通と考える時代でした。

 

実は、僕としては自分の家が裕福ではないことをわかっていましたので、漠然と進学なんかしないんだろうなぁ、と思っていたのですが、僕の親は地方から東京に出てきた人ですので、「自分の子はなんとしても、最終学歴を大卒にしたかった」ようです。僕が「進学しようとは考えてない」と父に言ったところ、「進学したほうがいい」と父が強く言ってきたのを思い出します。

 

あとから考えますと、「子どもを進学させる」というのは、地方出身の親からしてみますと、「純粋に子供ため」という理由のほかに、いろいろと複雑な背景があるのですが、それはひとまず置いておいて、僕はとにかく夕刊だけでしたが、新聞配達をしながら浪人生活を送っていた頃に見ていた「俺たちの旅」でした。

 

その番組の主題歌が小椋佳さん作詞作曲で主演の中村雅俊さんが歌ってヒットして「俺たちの旅」でした。それがきっかけで小椋さんに興味を持ち、「さらば青春」にたどり着くことになります。小椋さんに興味を持ち、いろいろな情報に接していきますと、小椋さんはなんと東大出身で当時の学生人気度抜群の日本勧業銀行(現在のみずほ銀行)に勤めていることを知りました。

 

そんなエリート銀行員が、「どうして歌手なんかやってるだんだ?」と俄然興味が深まります。すると、学生時代に寺山修司さんのファンになり、ラジオ番組の出待ちなどをして親しくなり、音楽業界に入っていくことになったようです。当時は週刊誌の明星などには「歌の本」が付録でついていたのですが、その中で小椋さんの歌を見ますと、編曲に星勝さんの名前が多いことに気がつきました。

 

そこで星さんについて調べますと、星さんはグループ・サウンズモップスのギタリスト・ボーカルだったことを知りました。それがきっかけで、僕は編曲の重要性を認識するようになりました。また、音楽業界の流れとして、一世を風靡するほどの人気を作った人は、ピークを過ぎたあとはプロデューサー行に転出することも知りました。

 

な~るほど、世の中はうまく回っているんだなぁ、っと思ったのですが、実は、今の僕は本当の音楽のセンスを持っている人は「編曲」、カタカナで言いますと「アレンジ」を手がけている人と思っています。だって、メロディーからどんな楽器を使って、もしかしたら楽器とは限らなくて、とにかく作詞作曲を際出せる伴奏とかアレンジをするには、膨大な音楽知識とセンスが必要だと思うからです。

 

話が逸れてしまいました。「さらば青春」でした。この歌で一番僕が覚えているのは、オールナイトで観ていた映画、実はタイトルは全く憶えていないのですが、青春物だったと思いますが、その映画の最後の場面でギターのコード音で

♪ジャガジャ、ジャッジャジャ~ン
♪ジャガジャ、ジャッジャジャ~ン

さらば青春の前奏なのですが、これがかかった瞬間に映画館にいた若者全員が

「オー! オー!」とお叫びをあげていました。それから大きな拍手が鳴りやまず、みんなしてスクリーンに向かって拳を突き上げていたのでした。

 

あー、これが青春、、、と思った瞬間でした。

 

イヤー、おそまつ。今週はこれにて失礼。

 

それでは、またまた。