心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

はぐれそうな天使

作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお
歌唱:岡村孝子
1985年に来生たかおの歌唱によるオリジナル・シングルが発売され、翌1986年に岡村孝子がカバーしたシングルが発売された。


上記のように、この歌は来生たかおさん、えつこさんが弟姉コンビで作っていますので来生たかおさんが先にリリースしています。それを岡村さんがシングル3曲目としてリリースしているのですが、僕的には来生たかおさんには申し訳ないのですが、岡村さんが歌った楽曲のほうがこの歌詞の魅力を出すことができているように思います。そしてなにより、この歌を岡村さんに勧めたプロデューサーさんの感性も素晴らしいですよね。岡村さんって、雰囲気がそれこそ「はぐれそうな天使」って感じじゃないですか。

 

僕の個人的推測ですが、来生えつこさんが作詞家になったきっかけは弟さんである「たかおさん」がシンガーソングライターだったことと無縁ではないはずです。おそらくたかおさんがお姉さんに作詞を依頼してのではないでしょうか。

 

しかし、身内だからといっても、素人が簡単に作詞家になれるはずもありません。調べましたところ、えつこさんは雑誌の編集者をしていました。「どうりで」と思ったのですが、編集者も作詞家同様に言葉を紡ぐのが仕事ですので、素晴らしい作詞を書けたのでしょう。


♪足もとくすぐる波さえ

 

この出だしがメロディーと相まってとても好きです。「はぐれそうな天使」というタイトルから連想するのは実はヤンキーなのですが、その理由は「はぐれそう」からきています。「はぐれる」の「ぐれる」の部分が僕にヤンキーのイメージを思い起こさせるのですが、「はぐれる」はヤンキーとは関係ありません。

 

辞書を調べますと「一緒に行動していた案内人や保護者、集団や群れから離れてしまう」と書いてあります。つまり、迷子になることですが、あまりに好きになりすぎ、そして不安な気持ちが自分を迷子にさせるのでしょう。

 

ああ、青春。といった感じの歌詞ですが、青春時代から50年以上経ってしまいますと、その感覚を忘れてしまいました。ああ、残念。

 

それでは、また。

 

舟歌

1979年5月25日発売
作詞:阿久悠
作曲:浜圭介
歌:八代亜紀

 

この歌を選んだのは先日八代さんがお亡くなりになったからです。演歌歌手の方々は下積み時代があり、苦労した経験があるからでしょうか。皆さん、人柄がいいように思っています。八代さんももちろんですが、自分が成功したからといってほかの人を見下すこともなく誰にでも分け隔てなく接している印象があります。

 

そんな八代さんが歌った楽曲ですが、もちろんこの歌の魅力は八代さんの歌唱力あってのものですが、同じくらい作詞家・阿久悠さんの歌詞力もあります。「いかにも昭和」といった感じの歌詞ですが、まさに阿久さんの真骨頂といえる楽曲です。同じ系列としては河島英五さんの「時代おくれ」が思い浮かびますが、今話題の生成AIに絵を描かせたなら「うらぶれた酒場でひとりお酒を飲んでいる画」を描くのではないでしょうか。


♪お酒はぬるめの 燗がいい
♪肴はあぶった イカでいい

 

僕が言うまでもありませんが、阿久さんは天才です。とわかったようなことを書いていますが、実は僕はお酒が全く飲めません。ですので、間違っても一人で酒場になど行きませんし、一度も行ったことがありませんが、ドラマなどでそのような光景は見たことがありますので、想像の世界では理解できます。

 

お酒の話で思い出すのは、大学に合格して初めて友だちとスナックに行ったときの話です。それまでお酒など一口も飲んだことがないのですが、友だちに誘われてつい行ってしまいました。初めて飲むのですから、「どれだけ飲んだらどうなるか」さえわからない状態でした。ただただ飲んでいましたら、と書きながら、おそらくそれほど飲めないはずですので量は大して飲んでいないはずです。それでも気持ち悪くなりトイレで吐いてしまいました。そんな記憶があります。

 

♪店には飾りがないがいい
♪窓から港が 見えりゃいい

 

この歌詞ではやはり、「ないがいい」でしょう。「ないほうがいい」が正しい表現でしょうが、「ないがいい」がこの歌詞が描きたい「風景」をきれいに映し出しています。

 

僕には2歳離れた姉があるのですが、その姉はおとなしく地味な性格ででしゃばることなど絶対にしない性格でした。その姉がこの歌を口ずさんでいたことがあります。そんなことはあまりしない姉でしたので、とても珍しく印象に残っています。ですので、「舟歌」と言いますと、いつも姉を思い出しています。

 

ちなみに、一昨年亡くなったお母ちゃんは「ちあきなおみ」さんの「喝采」を口ずさんでいました。

 

それでは、また。

 

君と歩いた道

作詞・作曲・歌: 浜田省吾
2005年6月8日に発売したシングル「I am a father」のカップリング曲。

 

いつも書いていますように、浜田さんは「純愛」と「不倫」と「メッセージソング」を創作の柱としていますが、前に紹介しました「陽のあたる場所」が究極の「不倫歌」とするならば、「君と歩いた道」は対極にある歌です。純愛の極致といってもいいのではないでしょうか。

 

なにしろ「80歳近い老人」が15歳に戻って、また君と会っても「君と歩いた人生を選ぶだろう」なんていうんだから!これを純愛と言わずなんと言いましょう。まぁ、所詮は夢の世界ことですね。現実の厳しさを痛感している僕としましては、そのあたりのさじ加減は十分にわきまえているつもりです。へへへ…。

 

僕は浜田さんを、と書きますとどうしてもダウンタウンのハマちゃんが頭の中に出てきますので、ハマショーさんとすることにします。僕はハマショーさんを歌詞の天才と思っているのですが、それが見事にわかるのがここです。

 

♪学んだ知恵 活かして
♪曲がりくねった道を行こうと 迷わない

 

たったこれだけの歌詞で、人生にはいろいろな苦難があって、それを乗り越えながら生きていくんだ、というのがわかります。天才ハマショーさんの真骨頂ですね。

 

ほかに、僕が好きなのは

 

♪若すぎて思いやりもなく傷つけ 別れた人たち

 

です。若いってホントに世の中とか他人に対して無知ですから、知らないうちに傍若無人に接していること、ありますよねぇ。特に僕みたいにお調子者だとそうした機会は多かったように思います。反省…。

 

ただ、一つ理解しがたく思うのは次の

 

♪また出逢えたら 心の絆 失わない

 

です。自分で傷つけておいて、「心の絆 失わない」って、あんた、そんな、ちょっと図々しくないかえ。僕はそう思うんでやんすよ。

 

冒頭で「80歳近い老人」がと書きましたが、これは僕が好きなミュージックビデオの映像に出てくるのが「80歳前後のご夫婦」なので、つい書いてしまいました。この歌のMVはyoutubeに幾つか出ているのですが、「80歳前後のご夫婦」のMVは秀逸です。あぜ道を歩く場面だけで人生を映し出しています。これを天才といわずなんといいましょう。この歌の魅力を倍増しているといっても過言ではありません。お見事!

 

それにしても、僕が好きな歌ってB面なんですよねぇ。なんでほかの人と感性が違うんだろ。ひねくれものだからしょうがないか…。

 

それでは、また。

みちずれ

牧村三枝子が1978年10月21日に発表した曲
作詞:水木かおる/作曲:遠藤実

 

元々は当時牧村と同じレコード会社・ポリドール所属の先輩だった渡哲也が、アルバムの中の1曲として発表、1975年にシングルとしても発売している。その後、牧村のディレクターがこの曲を歌うことを牧村に勧めた
ウィキペディアより引用)


ウィキペディアによりますと、牧村さんが発表したあと、実はあまり売れていなかったそうです。それを知った渡さんが「自分が歌うことを控えた」そうで、それから牧村さんの歌がヒットしたそうです。渡さんって男らしいですよね。一本気なところが好きです。

 

もちろん渡さんの「みちずれ」も素敵ですが、僕はやはり渡さんには申し訳ないですが、牧村さんのほうの歌が好きです。その罪滅ぼしではありませんが、渡さんの素晴らしいところを書きたいと思います。

 

渡さんは日活で活躍していたそうですが、石原裕次郎さんに憧れて日活から石原プロに移籍しています。そのときのエピソードがまた感動もので、当時石原プロは業績が芳しくなく経営的に苦しかったらしいのですが、それを知った渡さんは自分が持っている全財産を裕次郎さんに持って行って、「これ、使ってください」と話したそうです。感激した裕次郎さんは、それは受け取らず石原プロに招き入れたそうです。

 

と、いう話を裕次郎さんの奥様である石原まき子さんがテレビの番組で話していました。渡さんは常に裕次郎さんを立てており、その姿勢は素晴らしいものがありました。実は、石原プロには設立当初から裕次郎さんを支える幹部がいたのですが、その方もできた人であとから入ってきた渡さんを自分より役職が上である副社長にすることを認めていました。こうした人間のつながりが石原プロを成長させたのでしょう。

 

その石原プロも今は消滅してしまいましたが、石原プロは昭和という時代を最も映し出していると思っています。義理と人情の厚い人間性という点においてです。だからこそ、

 

♪俺をみつめて うなづくおまえ
♪きめた きめた おまえとみつずれに

 

ね、ね、「みつめる」だけで「きめる」のですから、「昭和」と言わずなんと言いましょう。

 

♪寒い夜更けは お酒を買って
♪たまのおごりと はしゃぐ姿に

 

かわいいなぁ、たまにしかおごっていないのに、「はしゃぐ」のですから、これを「かわいい」と言わずなんと言いましょう。

 

♪夢の中でも この手をもとめ
♪さぐりあてれば 小さな寝息

 

ああ、これぞ「昭和の女!」。でも、そんな女性でも結婚して10年も経てば、隣で大きないびきを立てて寝ています。人生って難しいです。

 

それでは、また。

昔の名前で出ています

1975年1月25日発売
作詞:星野哲郎
作曲:叶弦大
歌:小林旭 92枚目のシングル

 

前に「新宿の女」という藤圭子さんの歌を紹介したことがありますが、同じ傾向の歌です。幸薄い女性の心情を歌ったものですが、いわゆる「昭和の演歌」はほとんどがこういった「耐える女性」の歌が主流でした。今の時代の女性からしますと、信じられない女性像ですが、時代の流れとお許し願いたく思います。

 

演歌は「地域名」を入れて北から南に歌うのが多いのですが、この歌は京都、神戸、横浜しか出てきません。しかも、1番にすべての地名を入れているところがほかの演歌とは違うところのように思います。普通の演歌は、例えば1番に函館という地名を入れ、2番に青森、3番に宮城など場所を変えながら順番に入れていきます。しかし、この歌では1番に3つの地名を入れています。

 

♪忘れたことなど 一度もなかったわ
♪いろんな男を 知るたびに

 

この歌詞はこの順番だからこそ、好きな男性への強い思いが伝わってきます。これが

 

♪いろんな男を 知るたびに
♪忘れたことなど 一度もなかったわ

 

では心惹かれるものはありません。

 

ただ1つだけ、ちょいとばかし腑に落ちないところもあるのです。

 

♪流れ女の さいごの止まり木に
♪あなたが止まって くれるの待つわ

 

なのですが、流れているのは女性のほうなのに、どうして「止まってくれるのを待つ」のかそれが疑問です。まぁ、人生って一筋縄じゃいかにですよねぇ。

 

それでは、また。

秋止符

作詞:谷村新司 作曲:堀内孝雄
歌:アリス

 

先月、谷村さんがお亡くなりになったことで、アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」を紹介しました。この歌もアリスの歌ですが、ほかのヒット曲ほどには売れなかったように記憶しています。基本的に僕は、ヒットした歌はあまり心に刺さらないことが多いのですが、アリスの歌でこの歌は一番好きな歌でした。

 

「遠くで汽笛を聞きながら」のときには書かなかったのですが、アリスが解散したきっかけについて、堀内さんが話していました。「僕の嫉妬でした」と。アリスでヒット曲を出しても、みんな谷村さんに人気を持っていかれることに「嫉妬」していたそうです。

 

しかし、谷村さんはおそらくそれを感じていて、それでもなお変わらない友情を続けていたのだと思います。そうした姿勢に尊敬の念を抱かずにはいられません。懐のなんという深さよ。解散後、谷村さんは「昴」とか「サライ」とか国民的な楽曲を生み出していますが、それでもなおアリスを復活させています。懐のなんという深さよ。そうであるだけに、志半ばでの旅立ちは心残りだったろうと思います。

 

大分前ですが、インターネットの番組で堀内さんが話していたことが強く印象に残っています。解散後個人で活動するようになったあと、次第に活躍する場がなくなっていき悩んでいたころ、意を決して谷村さんに相談したことがあるそうです。そうしたときでも、谷村さんは堀内さんを突き放すこともなく、親身になって相談に乗ってくれたと感謝の言葉を話していました。

 

アリスは谷村さんと堀内さんの二人ボーカルだったのですが、この歌は堀内さんがメインで歌っています。作曲も堀内さんですから本人としても気持ちよく歌っていたと思います。しかし、生でこの歌を聴いたとき、僕はとても残念に思いました。前に書きましたが、僕が人生で最初で最後に行ったコンサートはアリスの武道館なのです。そのコンサートで聴いた堀内さんの歌声はレコードやテレビなどとは少しばかり違っていました。

 

具体的には、堀内さんの歌う「さ行」がすべてほとんど同じに聴こえ、歌詞の内容が聴き取れませんでした。テレビで聴いていたときにはきれいに聴こえていたのですが、武道館ではほとんどの「さ行」の歌詞がわからず落胆した想い出があります。

 

コンサートでの歌声を忘れるなら、この歌はやはり名曲です。メロディーも素晴らしいですが、僕の心に染み入るのは歌詞です。そして、歌詞を染み入らさせる心の状態にさせているのがタイトルです。「終止符」を「秋止符」と「秋」にしているところが、まさに谷村さんの「妙」です。

 

そして、

 

♪左利きのあなたの手紙
♪右手でなぞって真似てみる

 

いったいどのようにしてこのような情景、発想が浮かぶのでしょう。これを天才と言わずなんと言いましょう。僕の中では、この歌詞の部分は吉田拓郎さんの「外は白い雪の夜」と重なる部分があるんですね。「外は白い…」は松本隆さんの作詞なのですが、どちらも歌詞の天才です。

 

♪友情なんて呼べるほど
♪綺麗事で済むような

 

刺さりますよねぇ、激しく燃えるような恋愛をした人からしますと…。ウフ。

 

♪心も体も開きあい
♪それから始まるものがある

 

「体も」というところがいいですよね。心だけじゃ、なんかウソっぽくて上っ面の感じがするじゃないですか。やっぱし、「体」がなくちゃ。谷村さんの真骨頂といったところでしょうか。

 

♪重いコートは脱ぎすてなければ

 

そうなんですよ。いつまでも終わったことに振り回されていては生きてなんていけやしません。

ということで、今週はここまで。

 

それでは、お暇します。

 

愛は勝つ

作詞・作曲:KAN
KANの楽曲。自身の8作目のシングル
1990年9月1日に8cmCDとしてリリースされ、1991年1月1日にカセットテープとして再リリースされた
オリコンでは8週連続1位にチャートインし、累計売上は201.2万枚を記録

 

今週は違う曲を書くつもりだったのですが、突然のKANさんの訃報を聞き、この曲に変更することにしました。

 

冒頭で書きましたように、200万枚以上も売れたのは、なんと言ってもテレビ番組の挿入歌だったからです。「やまだかつてないテレビ」という山田邦子さんがMCを務めていた番組ですが、リズミカルでシンプルなメロディーが視聴者に受けたことがよかったのでしょう。

 

いつの時代もそうですが、ヒットするには楽曲の魅力以外になにかきっかけが必要です。「やまだかつてないテレビ」は山田邦子さんの人気絶頂時代にゴールデンで放送されていた番組ですが、番組の中で使われるタイミングがぴったりでした。もし、そうした要因がなかったならそこまでヒットはしなかったように思っています。

 

この番組ではKANさんのほかに大江千里さんも出演していたのですが、どうしても僕の中で二人がだぶってしまいます。大江さんは現在ニューヨークで音楽活動をしているようで、時折ネットなどで報じられています。僕はたまたま経済誌関連で見かけたように思いますが、単身米国に渡ったそうで尊敬しています。

 

僕の記憶では「やまだかつてないテレビ」は深夜に放送されていた「いりなりフライデーナイト」がゴールデンに引っ越してきた印象があります。調べましたところ、この時期は山田邦子さんの絶頂期だったようで、8年連続で「好きなタレント」ナンバーワンに輝いていたそうです。僕はそこまでの記憶がありませんでしたが、すごい人気だったのですね。

 

それはさておき「愛は勝つ」。

 

♪心配ないからね 君の想いが
♪誰かにとどく明日がきっとある

 

このストレートな歌詞がこの歌で訴えたいことをすべて表しています。恋の相談に答える歌です。この歌は歌詞というよりも、やはりポップなメロディーが受け入れられた要因だと思います。こう言ってはなんですが、歌詞は本当にストレートな表現で、それがこのメロディーに合っています。このメロディーあってのこの歌詞です。シンプルであるがゆえに、ノリがよく飽きられず、それが200万枚も売れた理由ではないでしょうか。

 

61歳という若い年齢で旅立ってしまいました。もっとやりたいことがあっただろうにと思いますと、残念でなりません。

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

それでは、また。