心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

ざんげの値打もない


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1970年10月5日に発売された北原ミレイのデビューシングル
作詞:阿久悠/作曲:村井邦彦/編曲:馬飼野俊一

 

この歌はメロディーも素敵ですが、やはりなんと言っても歌詞のスケールの大きさに圧倒されます。その作詞を書いていたのは、稀代のヒットメーカーとして名をはせていた阿久悠さんです。阿久悠さんといいますと、ピンクレディーさんや沢田研二さん、西城秀樹さんなど多くのアイドルにもたくさん書いていますので、ポップな歌詞を書いているイメージがありますが、演歌の世界でも多くのヒット曲を書いています。

 

その代表的な歌がこの「ざんげの値打ちもない」です。生涯に5000曲以上作詞をしている阿久悠さんですのでわざわざほかの歌を紹介することはしませんが、石を投げると阿久悠さんの歌に当たるのは間違いありません。

 

この歌詞の世界を簡単に説明しますと、十代で道を踏み外した少女の人生を綴った歌です。

♪今日で十五と 云う時に
♪安い指輪を 贈られて
♪私はささげて みたかった

♪すねて十九を 超えた頃
♪細いナイフを 光らせて
♪にくい男を 待っていた

♪とうに二十歳も 過ぎた頃
♪鉄の格子の 空を見て
♪月の姿が さみしくて

 

ねぇ、凄い人生を送っている少女でしょ。つまりは、ジゴロの男に騙されて貢がされて、手をかけたばかりに刑務所暮らしなのです。こんなかわいそうな人生があるでしょうか。この歌詞を聴いていますと、なぜか僕は上村一夫さんの「同棲時代」という漫画が思い浮かぶのですが、「同棲時代」は男が女を騙す漫画ではなく、愛を探し求める男女の物語です。内容は違うのですが、「ざんげの値打ちもない」を漫画にするなら上村さんしかいないと思っています。

 

昨今はシングルマザーが子供を虐待する事件が報道されることが多いですが、そうしたシングルマザーの方々はほとんどがこの歌の主人公と同じ人生を送っている、と僕は思っています。二十歳を過ぎたばかりの女性がひとりで幼子を育てられるはずはありません。ニュースなどでは子供がひとりどころかふたりのケースもありますが、そのような状況で生きていくのは不可能です。

 

普通の人生を送っている大人が「そのような母親たちを非難する」気持ちもわかりますが、やはり行政が手を差し伸べるのが本来の在り方ではないでしょうか。何不自由ない環境で過ごしている人たちにはそのような境遇の少女たちの気持ちは理解しがたいかもしれませんが、親に頼れずに子供時代を過ごしている子供たちもいます。そうした子供たちの男性は道を踏み外すこともあるでしょうし、女性の場合はちょっと優しい男性に心奪われることになります。

 

この歌を聴いていてあと一人思い出す人がいるのですが、それは「だからあなたも生き抜いて」という本を出版している大平 光代さんという弁護士さんです。この方も「すごい!」という言葉では言い表せないほど凄まじい人生を送っています。それこそ十代の頃にやくざの妻になるのですが、出版のきっかけはある編集者に「身体中に刺青のある弁護士さんがいる」という話が舞い込んだことです。興味のある方は読んでみてはいかがでしょう。

 

それはともかく、最初から悪事を働く子供はいません。その前の段階として、そうした活動をするに至る環境、状況があります。そうした子供たちをいったい誰が責めることができるでしょう。資格があるでしょう。子供は親を選べません。道を踏み外している子供達には社会が手を差し伸べる義務があると思っています。

 

…なんか、堅い文章になってしまいましたが、「ざんげの値打ちもない」を聴いていますと、ついつい社会の冷たさに気持ちがいってしまう僕でした。

 

それではまた。