心に残った歌

今までに心に残った歌(1970年代~)

プカプカ

歌:西岡恭蔵
1972年12月10日に、キングレコードベルウッド・レコードより発売した最初のシングル
作詞: 西岡恭蔵
作曲: 西岡恭蔵

実は、なぜ自分がこの歌を知っているのか、わからないのです。ただ、気づいたときは歌っていた…、という感じです。フォーク調の歌なのですが、僕はそれほどフォークに入れ込んだこともありませんし、そもそも年代が少しずれています。フォーク全盛時代は僕より一世代前なのです。

 

おそらくなのですが、僕がこの歌を知ったきっかけは「俺たちシリーズ」のどれか一つのドラマで、その中で主人公が口ずさんでいたのではないでしょうか。「俺たちシリーズ」は1970年代後半に日本テレビの日曜夜8時から放映されていた青春ドラマです。

 

中村雅俊さん主演で「俺たちの旅」というドラマが最初だったように記憶しています。三流大学に通う3人の若者がいろいろなことに悩みながら生きていくドラマでした。思い返しますと、このあたりから青春ドラマで描かれるのは一流大学ではなく、三流大学に通う学生に焦点を合わせていたように思います。TBSの「ふぞろいのリンゴたち」もそうでしたし、「青が散る」もそうでした。一流大学では感動する話の展開にならなかったのかもしれません。

 

それはともかく、中村雅俊さんは今はおしゃれないで立ちでテレビに出ていますが、当時は汚らしいジーパンにダンガリーシャツ、そしてボサボサ頭に下駄ばきというのが定番の服装でした。つまり、バンカラふうが“ウリ”だったのです。いつからか方針転換して今のおしゃれな中村さんに変身していました。

 

そういえば、青春ドラマの主人公時代を経て数年した頃、なにかの対談番組で「将来に向けて今から貯金をしている」と語っていました。その理由は「自分はいつまでも主役をやっていたいから」というもので、その言葉から主役を張っている人のプライドのようなものを感じました。わき役を断るということは収入減になることにほかなりませんが、やはり主役を張る人は気構えが違うと感動したものです。

 

そんなことはともかく「プカプカ」です。

 

この歌はメロディーも親しみやすく、そして覚えやすく素敵なのですが、青春の若者に刺さるのは刺激的な歌詞です。1番の歌詞は

 

♪おれのあん娘(「こ」と読みます)はタバコが好きで

♪いつもプカ プカ プカ

 

ね、すごい出だしでしょ。2番は「スウィング」のことが出てくるのですが、「スウィング」とはジャズのことらしいです。僕は学生時代、バイトで知り合った他大学の先輩とよく遊んでいたのですが、その先輩の生活がまさにジャズが似合いそうな暮らしぶりでした。実際、その方は高円寺の安アパートに住んでおり、僕もちょいちょい遊びに行っていたのですが、たまにジャズのお店などにも一緒に行ったのですが、正直なところ、僕には今一つ魅力がわかりませんでした。

 

刺激的な歌詞は3番です。

 

♪おれのあん娘は 男が好きで
♪いつもウフ ウフ ウフ

 

♪あんたがあたいの 寝た男達と
♪夜が明けるまで お酒のめるまで


♪あたい 男 やめないわ
♪ウフ ウフ ウフ ウフ

 

ね、刺激的でしょ。僕の想像では、西岡さんの青春時代の思い出を書いているのでしょうが、こんな女性いそうですよねぇ。こういう女性と一緒に時間を過ごすのって、男のほうもよっぽど肝が据わってないと無理ですね。そして、ほとんどの男性はこのような女性を彼女にするのは不可能でしょう。なにしろ、男って嫉妬心が強いですから。

 

この歌のことは知っていましたが、西岡さんについてはほとんど知識とか情報を持っていませんでしたので、このエッセイを書くにあたり、調べたところ、驚くべきことを知りました。それは乳がんで亡くなった奥様の三回忌の前日に自殺をなさっているのでした。しかもまだ50才という若さでした。それほど奥様を愛していたのでしょうが、西岡さんのお人柄が感じられるような人生の終わりかたです。

 

その西岡さんの評伝のような本が昨年の11月に出版されていました。亡くなったのは1999年ですので、それから20年も経ってからの出版はなにか意味があるのでしょうか。気になる方はhttps://www.shogakukan.co.jp/books/09388835からどうぞ。

 

それでは、また。

いつの日か

矢沢永吉さんの37枚目のシングル
1994年5月25日に発売
作曲:矢沢永吉 作詞:秋元康

僕はロックんロッカーではありませんので、キャロルのバンド時代をほとんど知りません。また、業界に詳しいわけでもありませんので、矢沢永吉さんについてもほんの上っ面の知識しかありません。そんな僕ですが、この「いつの日か」だけは好きで、ちょくちょく頭の中に降りてきます。

 

この楽曲はTBSのドラマで主演したときのエンディングソングだったそうで、もちろん大ヒットしたのですが、その関係で僕は知っているのだと思います。基本的に、僕が歌を覚えるのは歌全部というよりも、どこか一ヶ所のメロディーを好きになり、そこから全体を好きになります。ですから、いつまで経っても全部を歌えないことは多々あります。この歌はそんな歌の典型となっています。

 

ちなみに、同じようにメロディーのたった一ヶ所だけ好きなフレーズがあり、そこだけを歌っている楽曲としては、松山千春さんの「炎」という歌があります。「あーいーが揺~れている」という歌詞のメロディーが好きなのですが、そこに至るまでの歌詞もメロディーもイマイチ頭に入っておりません。

 

そんなことより矢沢さんです。僕が矢沢さんを知ったのは、この歌のようなビッグヒットがあるからですが、その関連で「成り上がり」という本にも関心を持ちました。「成り上がりは矢沢さんの語り下ろし自伝なのですが、この本は「語り下ろし」ですので、書く人が必要でした。その方こそ、今をときめくあの「ほぼ日」の糸井重里さんです。

 

当時、糸井さんは新進気鋭のコピーライターでした。その糸井さんを起用して「成り上がり」を作ることを企画したのは小学館の島本脩二さんという編集者さんですが、僕はそれをなにかの記事で読み、編集者という仕事がいかに権力を持っているかを知りました。だって、あの天下の糸井さんを構成ライターに起用するのですから、立場が糸井さんよりも上ということになります。つまり、「偉い人」ということです。世の中のヒエラルキーを初めて意識したきっかけの出来事でした。

 

そんなことより矢沢さんです。矢沢さんといいますと、広島出身で有名ですが、広島で著名な音楽関係の人といいますとあのカリスマの吉田拓郎さんがいます。それを考えますと、二人の関係はどうだったのかな、などと思いを馳せるわけですが、それを教えてくれたのは元チェッカーズのフミヤさんでした。

 

フミヤさんもすでに50才を超えたベテランですが、フミヤさんが拓郎さんがMCを務めていた番組にゲストで出演したときに、「矢沢さんと拓郎さんの伝説のケンカ」について触れていました。拓郎さんはその逸話を軽く受け流しましたが、業界では有名な話のようでした。矢沢さんが広島から上京してきたとき、拓郎さんはすでにカリスマな存在になっていましたので、二人が一触即発の関係になるであろうことは容易に想像がつきます。その想像を確定的にしたフミヤさんのお話でした。拓郎さんのケンカの強さを示す逸話も聞いたことがありますが、その二人がつかみ合いのケンカをしたそうですから、いったいどうなったのでしょう。

 

矢沢さんはどんなに売れる後輩が出てこようが、自らの立ち位置を譲ることは全くしない発想の持ち主です。矢沢さんは常にトップに君臨していなければいけないのです。以前、元BOOWYの布袋さんと共演する番組を見ましたが、完全に布袋さんよりも立ち位置が上でした。

 

また、布袋さんにしても矢沢さんをリスペクトしているのが伝わってきましたが、最も印象に残っているのは矢沢さんが歌っている姿を横にいた布袋さんが見つめているとき表情です。なにかを突き刺すようなまなざしでジッと歌う矢沢さんの姿を見つめていました。リスペクト以上のなにかを感じさせる視線力でした。

 

あの布袋さんを虜にできるところが、やはり矢沢さんのアーティストとしての力量なのでしょう。年齢的なもので言っても、矢沢さんと対等に構えられるのは先ほどの吉田拓郎さんとか元オフコース小田和正さんあたりでしょうか。それ以外の方々は年齢的だけでいっても半分の人生しか歩んでいないのですから、それを考えますと、いかに矢沢さんがすごいかがわかります。

 

「成り上がり」という本を読みますと、矢沢さんがアーティストとしてだけではなく、経営の面においても優れていることがわかります。「肖像権を自分で持つ」という発想を確立したのも矢沢さんが初めてのようでした。それまでは、アーティストは音楽を作ることだけに専念していればよかったのですが、それでは自らの権利を放棄する、もしくは他人まかせにすることですので、不利益を被ることになります。そうした業界の慣例に挑戦したのが矢沢さんでした。

 

それと関連するのですが、矢沢さんは米国事業を任せていたマネージャーの人に騙されたことがあります。そのときは、結局35億円という巨額な借金を抱えることになったのですが、そのエピソードも読みごたえがありました。ジャニーズのSMAPは解散する前「スマスマ」という番組をやっていましたが、そこにゲスト出演したときに、「ようやく借金を返済し終えた」と話していましたが、僕はそのときに「矢沢さんほどの人でも35億円の借金はかなりきついんだかなぁ」と思った思い出があります。

 

「いつの日か」を聴きますと、アーティストの側面としての凄さと経営力の高さについても思い出してしまいます。話は変わりますが、矢沢さんの鼻の大きさと演歌の北島三郎さんの鼻の大きさは似ていると思っています。

 

それでは、また。

わたし祈ってます


昭和50年(1974年)発売
作詞:五十嵐悟 作曲:五十嵐悟 
歌:敏いとうとハッピー&ブルー

僕には、なぜかふいに天から歌が降りてくる、とはこれまでにも書いていますが、この歌はまさに天から降ってきた歌です。“わたしいのっています~”と頭に浮かんだのですが、とても心に響くメロディーと歌詞です。

 

このコラムを書くにあたりいろいろと調べたのですが、驚いたことがあります。それはこの「わたし祈っています」という歌がヒットする数年前に、同じメロディーと歌詞で「幸せになってね」というタイトルでほかのグループがリリースしていたことでした。繰り返しますが、メロディーも歌詞も全く同じで題名だけを変えて歌っているのでした。

 

それでヒットしたのはボーカルの森本英世さんの貢献が大きいのでしょうが、それを見抜いたリーダーの敏いとうさんの眼力が素晴らしかったことも間違いありません。そうとしかいいようがないようなヒットの背景です。後付けになりますが、やはり「幸せになってね」よりは「わたし祈ってます」のほうが、いわゆるゴロがいいように感じます。

 

歌詞は1番から3番まであるのですが、その最後はすべて

 

♪幸せんになってね わたし祈ってます

 

となっています。つまり、最後の歌詞のどちらをタイトルにするかで歌の人生が変わったのですから、いかに題名が大切かがわかります。歌に限らないのですが、題名・タイトルは読む人が最初に触れる入り口です。ですからとても重要で、少しでもインパクトを与え興味を持たれるように工夫する必要があります。たったの数文字で歌の核心を伝え、なおかつ心に響く言葉を紡ぎださなければいけません。作詞家にコピーライターが多い理由がなんとなくわかる気がします。

 

先にも書きましたが、ヒットした理由の一つにボーカルの森本さんの声の魅力も大きいでしょう。僕的な勝手な意見ですが、しかもかなり失礼なことを書きますが、森本さんの顔は日本で一番「スケベったらしい」顔と思っていました。もちろん誉め言葉で言っているのですが、女性の母性本能をくすぐるような歌声です。それに見事にマッチした歌詞となっていますが、リーダーの敏さんはそこを見抜いたのではないでしょうか。

 

歌詞は夜の世界に生きる女性が、出世していく男性を見送る歌詞で、まさに母性本能の塊のような女性の心情を綴っています。おそらく多くの男性がそこに惚れたのだと思います。

 

♪強く生きなきゃだめなの
♪わたしのことなど心配しないで

とか

♪あなたはちっとも悪くはないのよ
♪女のわたしがわがままでした

とか

♪あなたはわたしより
♪もっといい人見つけて

 

とまあ、男性にとってとっても都合のよい女性ですが、考えようによっては結婚詐欺師に騙された女性ともいえそうです。いえいえ、結婚詐欺師に騙される女性とこの歌詞に出てくる女性で最も違うのは、自分が身を引き男性が幸せになることを願っていることです。やっぱり、男性の理想の女性像と言えそうです。

 

ですが、今の時代ではちょっと受け入れがたいといいますか、批判と浴びそうなので「男性」を「昭和の男性」とさせていただきます。そうです。昭和の男性、今のオヤジですね、そのオヤジ好みの女性がこの歌詞の女性像なのです。

 

今の若い人にわっかるかなー。

 

そんじゃ、また。

ウエディングベル

1981年11月21日にフォーライフ・レコードよりリリース
音楽ユニット・Sugarのデビューシングル
作詞・作曲: 古田喜昭

 

聴いていて笑みが沸き上がる楽しい歌詞になっていますが、これほど嫌みとか皮肉というか、恨みがましい言葉がピッタリあてはまる歌があるでしょうか(笑)。宗教的にはどうなのかと思いますが、「くたばっちまえ!」「アーメン」がこれほど違和感なく受け入れられる歌はありません。

 

合いの手の入れ方もバッツグンで、ユニットであることのメリットを十分に活かしています。まるで、民謡の合いの手を聴いているようで、落ち着いた感じがします。

 

♪この人ね あなたの愛した人は(合いの手:初めて見たわ)
♪私のほうがちょっときれいみたい(合いの手:ずっとずっときれいみたい)

 

嫌みがグサグサと刺さる素敵な歌詞で、うっぷんを晴らすのに最適な表現です。

 

♪お化粧する娘(こ)はきらいだなんて
♪あの優しい瞳はなんだったの

 

男のズルさに一撃をくらわせる歌詞で、仕返しにふさわしい最適な内容です。

 

♪どんどんあなたが近づいてくるわ(合いの手:私はここよ)
♪お嫁さんの瞳に喜びの涙(合いの手:きれいな涙)
♪悲しい涙にならなきゃいいけど(合いの手:そうねならなきゃいいけど)

 

笑いが止まらなくなる歌詞ですね。そして最後の歌詞はこれで締めくくりです。

 

♪私のお祝いの言葉よ くたばっちまえアーメン

 

ね、感動の歌詞です。今から40年前の歌詞なんですけど、全然色褪せてないですよね。上っ面だけの結婚式なんで出席しても仕方ないのよ。たまたま今パソコンから流れているのは中森明菜さんの「飾りじゃないのよ涙は」でした。

 

それでは、また。

関白宣言

さだまさし
1979年7月10日に発表したシングル


今の若い人で、いったいどれだけの人がこの歌を、そして“さだ”さんさんを知っているのでしょう。“さだ”さんはNHKラジオDJのような番組を持っていましたので(今の持っているのかは不明です)ご存じの方もいるかもしれません。それはともかく、“さだ”さんは1970年代に大活躍したシンガーソングライターです。

 

あ、「シンガーソングライター」という言葉自体がもう死語ですね。

 

それはともかく、“さだ”さんはまるで少女漫画の世界を描いたかのような歌をヒットさせる名人でした。以前、当欄で“さだ”さんの「異邦人」という歌を紹介したことがありますが、“さだ”さんはドラマ的な歌をつくる名人でもありますが、全く異なったほのぼのとする歌を書く名人でもありました。

 

この歌もそうですが、「雨やどり」などは本当に漫画のストーリーを思わせる歌詞になっています。当時、松山千春さんが歌番組内で「さださん」の歌を「コミックソング」と命名して爆笑を誘っていましたが、それ以降「コミックソング」という言い方が定着したように思います。

 

それはともかく「関白宣言」の歌詞です。出だしはこうです。

♪おまえを嫁にもらう前に言っておきたい事がある

♪俺より先に寝てはいけない
♪俺より後に起きてもいけない

こんな暴君がいるでしょうか。関白亭主にふさわしい宣言です。そのうえ

♪めしは上手くつくれ

とか

♪姑や小姑かしこくこなせ

 

などと勝手なことを言っています。これを関白亭主といわずなんといいましょう。

当時、社会的にも物議を醸し、批判の嵐が殺到しました。ですが、僕は思っていました。“さだ”さんの真意はそこにはないんだぞ。だって、暴君的な指令を出しながら、そのあとにこうっているんだ。

 

♪できる範囲で構わないから

とか

♪幸せは二人で育てるものではないはず
♪どちらかが苦労して つくろうものではないはず

 

これがどうして暴君の歌なのでしょう。相手を思いやっているようすがヒシヒシと伝わってくるのではあ~りませんか。

 

そして歌詞の終盤では、

♪俺より先に死んではいけない

♪お前のお陰でいい人生だったと
♪俺が言うから必ず言うから

 

これほど嫁を愛している旦那さんがいるでしょうか(へへへ…、あえて「妻」ではなく「嫁」として、「夫」ではなく「旦那」としました)。なのに、なのに、当時の女性陣たちは「この歌は男尊女卑とか女性蔑視の歌」などと宣っていたのであります。

 

こうした風潮を見聞きしていて、僕は思いました。「な~んだ、世の中の人たちって表面的なことしから理解できないんだなぁ」って…。

 

それはともかく、この歌ほど夫婦の愛を歌った歌はないことをここに宣言いたします。ちなみに、「さださん」は1980年にこの歌のアンサーソングとして「関白失脚」という歌も発表しています。

 

そんじゃ、ね。

 

Song for U.S.A.

1986年6月5日にリリースされた、チェッカーズの11枚目のシングル
作詞:売野雅勇/作曲・編曲:芹澤廣明

 

なんとなく、突然に、頭の中に浮かんでくる歌です。特段にチェッカーズのファンというわけではありませんが、なぜか頭の中に浮かんできます。メロディーといい、歌詞といい、スケールの大きな歌、といった印象です。

 

ウィキペディアを読みますと、作曲の芹澤廣明さんがチェッカーズとうまく関係性を持てなくなってきた時期、と書いてありますが、それなりに売れて自己主張がしたくなる時期だと思うので仕方ないと思っています。

 

芹澤さんのアメリカに対する憧れをメロディーにしたようですが、歌詞がピッタリと感じます。僕的には、作詞家の売野さんのほうが思い出が強いのですが、売野さんはコピーライターから作詞家になった方ですが、作詞家になるルートは秋元康さんのように、構成作家からなる道とコピーライターからなる道の2つが大きなルートのようです。

 

以前売野さんの記事を読んだことがありますが、売野さんは作詞家として売れっ子になったあとに、いわゆる「売れ線」ではなく、「自分の書きたい詞を書きたい気持ちが大きくなった」ようなことを書いていましたが、これは多くの成功者が至る道のようで、以前同じことを書いている作詞家の文章を読んだことがあります。

 

そうしたこの歌が出来上がるまでのいろいろな背景があったとしても、そんなことは全く関係なく、歌のメロディーと歌詞のスケールの大きさに惹かれる歌です。創作する人には、それぞれの思い入れがあるのでしょうが、結局は聴く側が自分に当てはめて聴くのが歌なのではないでしょうか。

 

そんな気がします。

 

それでは、また。

Tears

X JAPANが1993年11月10日にリリースした9作目
作詞:白鳥瞳 & YOSHIKI 作曲:YOSHIKI 編曲:X JAPAN


X JAPANが世の中に出てきたころ、僕はラーメン店を営んでいましたのでほとんど歌についての情報がありませんでした。お店で有線放送をかけていましたので、音楽はかかっていましたが、ヒットチャートには無縁の環境にいました。ですので、「X JAPAN」といいますか、YOSHIKIさんについてはあまり興味を持てないでいました。

 

以前に書いたことがありますが、ラーメン店を開業した当時、深夜に帰宅したあとご飯を食べながら見ていたテレビが「山田かつてないテレビ」という深夜バラエティー番組だったのですが、その番組のオープニング曲が、のちにビッグになる「Boowy」です。あのときのビートのあるテーマ曲にはほんとにしびれました。

 

Boowy」はその後数年してから解散するのですが、そのあとに出てきたのが「X JAPAN」だったと記憶しています。ただし、ビジュアル系バンドという括りやあの風貌から、僕はどちらかと言いますと企画物バンドと思っていました。ですが、今回取り上げています「Tears」とか「Forever Love」といったバラードを聴いていますと、単なるビジュアル系ではないとも感じていました。

 

今は少しずつ女優に復帰していますが、緒方直人さんと結婚して芸能活動を休止していた仙道敦子さんと、最近内田理名さんとの再婚を発表した吉田栄作さんのデュエットで大ヒットした「今を抱きしめて」という名曲があります。この歌がYOSHIKIさんの作詞作曲と知ったときも、やはり驚きました。メイキング映像を見たことがありますが、その当時すでにYOSHIKIさんが大物アーティストとして扱われていることにも驚いた記憶があります。

 

X JAPAN」が解散するときのコンサートを見たことがありますが、最後のほうの演出はまるでドラマ仕立てになっており、見方を一つ間違えますとコミックバンドにもなりそうな光景になっていました。そうであるだけに、今一つ「X JAPAN」を好きになれなかったのですが、先ほど書きましたように幾つかのバラード曲を聴いていますと、YOSHIKIさんの才能があふれているのが伝わってきます。

 

かなりあとになってからですが、YOSHIKIさんについてレコード会社のプロデューサーが語った記事を読んだことがあります。そのプロデューサー氏は初めてYOSHIKIさんに出会った時の感動を語っていました。その才能に惚れ込み「この人を世界に出さなければ」と思ったそうです。プロも認める才能ということになりますが、現在の活躍ぶりを見ていますとそれが真実であったことがわかります。

 

素人の僕からしますと、少しテレビなどで姿を見かけないと、落ちぶれていると思ってしまいますが、YOSHIKIさんの場合は世界的に活躍していますので、日本のテレビに出なくても全く問題ないようです。おそらくYOSHIKIさんは僕が思っている以上に、世界に認められているアーチストなのでしょう。

 

どちらにしろ、僕はYOSHIKIさんの作るバラードは天才だと思っています。

 

それでは、また。